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カレンダー日次記事 (2013年08月02日(金))

「地獄の業火」による火遊びを止めよう

 核エネルギーは、「神の火」とも「地獄の業火」ともいわれる。核エネルギーの巨大さと制御困難性を問わず語りしているといえよう。核分裂反応が、いかに巨大なエネルギーを放出するかは、理論的にも実践的にも明らかである。兵器として使用された核エネルギーが人類社会に何をもたらしたか。私たちは、広島・長崎の「被爆の実相」の中に確認することができる。巨大な湯沸し装置として使用された核エネルギーが暴走した時の実情も、現在進行形で体験している。私たちは、閻魔大王によって、翻弄されているのであろうか。
 核エネルギーを兵器として使用しようとする勢力も、湯沸し装置として利用したいとする勢力も、厳然とした力を保持し続けている。力による支配と利潤追求の衝動が、彼らの思考と行動を規定しているのである。いかに多くの人々が殺され、傷つき、苦しもうとも、彼らの関心の対象とはならない。核エネルギーは、神でも悪魔でもない、人間界の支配者によって、道具として利用されているのである。
 兵器としての核エネルギーへの対抗は核兵器廃絶運動としてあらわれている。民生利用としての核エネルギーへの対抗は原発反対運動としてあらわれている。
 核エネルギーは巨大であり、制御困難であるがゆえに、その保有者は、軍事的にも、政治的にも、経済的にも、社会的にも優位に立てることになる。神にも閻魔大王にもなれるのだ。
 兵器としての核エネルギーの利用は非人道的であるだけではなく、国際人道法に反するとされつつある。民生用の核エネルギー利用は、危険で、高価で、反環境的で、反倫理的であるとされつつある。
 にもかかわらず、核兵器に依存して国家の安全を確保しようとする勢力は、経済成長戦略の一環として原発を輸出しようとしている。その勢力に正統性を付与しているのは、有権者の投票行動である。多数決原理による正統性は、人間と自然や社会との関係で、常に正当であるとは限らない。この国では、多数決原理による正統性が「地獄の業火」による火遊びを継続させているのである。
 核兵器と原発は、核エネルギーであるということで共通している。国家安全保障のために「最終兵器」に依存することは、正義や公正よりも暴力に依拠する発想である。電気エネルギーの確保のための方法はいくらでもあるし、節約の方法もある。
 「地獄の業火」による火遊びを止めるために、私たちには、原理的な正当性の主張だけではなく、政治的正統性の確立も求められているといえよう。
(2013.7.26記)
大久保賢一(日本反核法律家協会事務局長)
2013/08/02(Fri) 15:59  |   コラム  |   3