000578
カレンダー日次記事 (2024年08月23日(金))

原発事故と原爆がもたらしたもの

福島原発事故によって故郷を離たり、生業を失っている人は十数万人といわれている。
健康被害を心配している方や、風評被害を受けている方たちも大勢いる。
汚染水は垂れ流され、土壌除染は遅々として進まず、空間線量も高いままである。
人々の人生や生活も自然環境もずたずたにされているのである。これらの被害は、原発事故によって放出された「死の灰」によるものである。
原発事故は、超高温や暴風圧のような衝撃は伴わなかったものの、放射能という人類がコントロールできない「死の灰」をまき散らしたのである。
その被害が、いかに広範で深刻で長期にわたるかを再確認しなければならない。
私たちは、原発事故被害者が「元の生活」を取り戻すための営みをサポートする。
私たちは、原発に依存しない社会実現のために、再稼働を許さず、廃炉を求める。
私たちは、原発の輸出を認めない。
私たちは、広島・長崎の原爆被害者が、核兵器廃絶と国家補償を求めて闘ってきた成果を継承する。
私たちは、なぜかくも危険なものと同居させられているのかを学ばなければならない。
2024/08/23(Fri) 16:29  |   原発と核兵器  |   5

核兵器と原発の共通性と異質性 -核の平和利用の意味すること―

核兵器も原発も、核分裂エネルギーを利用する人間の営みであるということでは共通している。
核兵器はそのエネルギーを瞬時に最大限解放し、原発はそれを制御しながら利用するという違いがあるだけである。
原爆投下直後のトルーマンの声明は、核エネルギーについて「宇宙に存在する基本的力」と表現している。
核エネルギーは兵器として使用される場合には「地獄の業火」として、制御される場合には「神の火」として、人類の前に現れることになる。
今、国際社会も我が国も、核分裂エネルギーをコントロールすることは可能だとしている。
核エネルギーの「平和利用」や「民生利用」は各国の「奪いえない権利」としているのである。
本当に制御可能なのであろうか。それができていないことは、この間の現実が雄弁に物語っているではないか。
電気製造の方法は、核分裂エネルギーだけではないことは誰でも知っていることではないか。
にもかかわらず、なぜ、原発に依存しようとするのか。なぜ、「地獄の業火」による火遊びをやめようとしないのか。
核分裂エネルギーを兵器として、あるいは金儲けの道具として利用したい連中が、この世界を牛耳っているからであろう。
けれども、既に、原発に依存することをやめた国家も存在する。例えば、ドイツなどである。
2024/08/23(Fri) 16:30  |   原発と核兵器  |   6