原発回帰政策を問う ~第7次エネルギー基本計画案の問題点、原子力問題を中心に【追加資料】
伊東達也
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原発回帰政策を問う ~第7次エネルギー基本計画案の問題点、原子力問題を中心に
伊東達也
1.知事に第7次エネルギー基本計画案への意見・異議を国に届けるよう求めた
福島県内で福島第一原発事故をめぐり訴訟をしている5原告団が、2024年12月26日に申し入れをした(別途資料)。今も苦しみ続ける福島の惨状に口をつぐんで第7次エネルギー基本計画を論ずることはできない。
2.第7次基本計画案は
〇2024年12月17日に経産省が公表
〇全90ページ、大項目は以下の7項目
Ⅰ.はじめに (3ページ)
Ⅱ.東電福島第一原発事故後の歩み(4ページ)
Ⅲ.第6次エネルギー基本計画以降の変化(4ページ)
Ⅳ.エネルギー政策の基本的視点(S+3E)(3ページ)
Ⅴ.2040年に向けた政策の方向性(63ページ)
Ⅵ.カーボンニュートラル実現に向けたイノベーション(8ページ)
Ⅶ.国民各層とのコミュニケーション(2ページ)
〇審議委員は16名(別途資料)
3.エネルギー基本計画の主な変遷は
第1次 2003(平成15)年~「安定供給の確保」「環境への適合」「市場原理の活用」を基本方針として原発推進を明記。
第4次 2014(平成26)年~福島第一原発事故を受けて、「原発依存度を可能な限り低減する」とした。一方で、安全性が確保された原発の再稼動を認める方針も示した。
第5次 2018(平成30)年~2030年度の目標を明記。再生可能エネルギーの主力電源化を打ち出し、一方では原発の依存度をできる限り低減するとしながら、原発の電源構成比率を非現実的な20~22%とする矛盾に満ちたものであった。
第6次 岸田内閣時の2021(令和3)年~原発について「依存度を低減する」と残しつつ、「安全確保の大前提に必要な規模を持続的に活用していく」とし、新増設の可能性まで含みを持たせた。この現行の第6次計画は2022年に決定し、2030年度の原発の電源構成比率20~22%を示した。その構成比は次の項で見たい。
4.今回の第7次基本計画案の問題点
①原発最大限活用を打ち出したこと
②最大限活用の前提は不確定要素とウソとごまかし
③最大限活用は危険を最大限にするもの
④原発建設は国民負担を増やすもの
⑤再生可能エネルギー発電を抑制し、気候変動に背を向けるもの
⑥計画案には隠していることがあること
1)原発最大限活用を打ち出したこと
今回の計画案は、「Ⅱ.東電福島第一原発事故後の歩み」のなかで事故から13年が経過したが、「その経験、反省と教訓を肝に銘じて、エネルギー政策を進めていくことが、エネルギー政策の原点である」「福島の復興なくして東北の復興なし、東北の復興無くして日本の再生なし、福島の復興及び再生は、原子力政策を推進してきた国の社会的責任を踏まえて行なわれるべきである」としている。
しかし、今回の改定はこれまで掲げてきた「可能な限り原発依存度を低減する」との規定を投げ捨て、原発の「最大限活用」を掲げている。「福島事故を反省し、教訓にする」は言葉だけであり、福島県民を愚弄したものとなっている。
計画案が示している2040年度の電力構成
2023年度実績 6次計画(30年度目標) 7次計画(40年度目標)
再エネ 22.9% 36%~38% 4~5割程度
原発 8.5% 20%~22% 2割程度
火力など 68.6% 42% 3~4割程度
2)最大限活用の前提は不確定予測とウソとごまかし
原発は2023年実績で8.5%を2040年度までに2割程度にするために「原子力を最大限活用」するとの理由を見てみよう。
「Ⅴ.2040年に向けた施策の方向性の(1)エネルギー政策の基本的考え方」(P18)で、次のように述べている。
① 「すぐに使える資源に乏しく、国土を山に囲まれるなどの地理的制約を抱えているという我が国の固有事情を踏まえれば、エネルギー安定供給と脱炭素を両立する観点から、再生可能エネルギーを主力電源として最大限導入することともに、特定の電源や燃料源に過度に依存しないようバランスのとれた電源構成を目指していく。」
② 「特に、DXやGXの進展による電力需要増加が見込まれる中、それに見合った脱炭素電源を十分確保できるかが我が国の経済成長や産業競争力を左右する状況にある。脱炭素電源を拡大し、我が国の経済成長や産業競争力強化を実現できれば、雇用の維持や賃上げも困難となるため、再生可能エネルギーか原子力かといった二項対立的な議論でなく、再生エネルギーと原子力を共に最大限活用していくことが極めて重要となる」。
(注)DX(デジタルトランスフオーメーション)とは、情報技術が社会のあらゆる領域に浸透・普及するデジタル化(コンピュウーターで処理する)が起こることで、社会や組織に変革をもたらすこと。
GX(グリーントランスフオーメーション)とは、化石燃料を中心とした経済社会、産業構造を温室効果ガスを発生させない再生可能エネルギー中心に移行させ、経済社会を変革して成長につなげるとりくみのこと。
以上ごく簡単に言えば、原発最大限活用は、
①今後電力需要が見込まれること、② 原発は脱炭素電源であること、③ 原発は経済成長や産業競争力強化に資することが前提とされている。
そのうえで、
① 「特定の電源や燃料源に過度に依存しない」ようバランスをとる必要があること
② 雇用の維持や賃上げのためにも再生可能エネルギーか原子力かと対立させない考えが極めて大切
③ 脱炭素電源の設置や系統整備には長期的に「円滑で安定多岐なフアイナンス(融資)が必要であり、民間金融機関等が取り切れないリスクについては政府の信用を活用した融資等を検討する」(P73)としている。
こうした受け入れやすい言い回しに、納得してもらう反論を考える必要があるのではないかと思われる。
例えば、「山に囲まれた地理的制約…」は、2040年代も化石燃料の輸入に頼ることが前提とされていること、「特定の電源に過度に依存しない」は自然 再生エネで大半をまかなうことを考えないための言い訳…。その他は?
3)原発の最大限活用は原発の危険を最大限にするもの
現在稼働している原発は13基で全電源の8.5%。これを計画案では2040年度に2割程度にするとしているが、電力需要量を12%~22%増えると見込んでおり、原発の総発電量は現在の実に3倍近くにもなる。
これを達成するには、世論を無視して新増設を目指しても間に合わず、例え強引に再稼働した原発を軒並み60年稼働させても、また例え今動いていない原発を全部動かしても3倍は達成できそうにないが、計画では達成できると想定している。
第7次計画案を達成しようと、無理に無理を重ねて「最大限活用」政策実現に拍車をかければかけるほど、間違いなく大事故発生を繰り返す危険を各段に増すことになる。
4)原発建設は国民負担を増やすもの
計画案は、原発の建て替えをこれまで廃炉が決まった同じ場所に限定していたが、この制約を緩め同じ電力会社であれば他の場所の原発敷地に原発建設を認めるとしている。新設の原発は「開発・設置に取り組む」と明記した。これは2040年以降も原発を主要電源とするものである。
しかし、建て替えも新規も現在明確に打ち出している会社はない。国が率先して原発設置を促せば、規制する側とされる側の関係が逆転する可能性を高めることになろう。これまた重大な事態を招くことになる。
原発は「脱炭素電源」であるから、建設費の上振れ分を電気料金から確実に回収できるようにする制度作りを目指すとしている。
これは消費者に負担を押し付ける以外の何物でもない。原発建設は消費者や国の負担なしでは立ちいかなくなっていることを示している。
5)再生エネルギー発電を抑制し、気候変動対策にも背を向けるもの
計画案通りに原発の最大限活用を図れば、原発は出力を調整し難い電力のために、再生可能エネルギーの発電を一時的に止める「出力抑制」がさらに増えることとなる。
国連気候変動会議は、2030年までに再エネ発電量を3倍にすることで合意に達していることにも、背を向けることとなる。
日本の再エネ導入は世界から大きく遅れており、2023年度実績が22.9%である。カナダが66%、ドイツが52%、英国は46%で、日本の30年計画をもすでに大きく上回っている。
再エネ導入の障害となっている原発や石炭火力発電依存から抜け出して、今回の30年目標である36%~38%をさらに高く設定するとともに、省エネを推進し、温室効果ガスの削減目標を引き上げるべきだろう。
6)今回の計画案が触れないこと、隠していることがあること
その最たるものが「福島の実状」についてである。
① 冒頭に紹介した事故から13年経っても「避難者の4割の人々がPTSDを疑われいる」のは、「ふる里が剥奪」されたこと、「コミニュテイが破壊」されたこと、「家族が崩壊」したことにある。
② 国が現在の避難者総数は2万5,610人(2024年11月1日)と発表しているが、この人数には復興公営住宅に住んでいる人や住宅を購入した人は除外され、仮設住宅や親せき・知人宅、施設・病院、県の借り上げでない住宅、社宅等への避難者に限ったものである。そのため例えば、12市町村の避難指示区域に住民票があり、現在もいわき市内に住んでいる1万6千余人の避難者はゼロ扱いとなっており、実情とかけ離れている。
そこで、強制避難指示区域を持つ市町村に住民票を持っているが、現在も戻っていない人が何人いるのか(別紙「避難指示区域の居住状況」よりどんなに少なくみても4万5千人)が、より実情に近いことを強調したい。
③ コメの収穫量が激減し、小中学校通学者数が事故前の1割ほどになっていることは別途の資料を参考にされたい。
④ 「関連死」は2024年3月時点で2,335人、事故時18歳未満の「甲状腺がん検診」の結果は2024年3月時点でがん確定284人、疑い54人である事故収束作業に携わっている労働者の被ばくによる「労災認定」は2016年時点で14人(白血病7人、悪性リンパ腫5人、多発性骨髄腫2人)である。
⑤ 除染、中間貯蔵施設、廃炉、賠償など必要な費用は現時点で23兆4千億円の巨額になっていること、中間貯蔵施設の汚染土壌の県外持ち出し(法律で決めている)は見通しが立っていないこと、廃炉ロードマップでいう「廃炉終了2051年」は根拠も示されず、2024年3月の県民世論調査で不可能と見ている人が78.3%になっていることなどには全く触れていない。
〈原発推進は企業献金まみれ ― エネルギー基本計画から公正さを奪う主要な原因〉
2024年11月末に公表された2023年の「政治資金収支報告書」によって、電力会社や原子力関連企業、立地自治体などで作っている「日本原子力産業協会」(原産協会、会員数398)の会員企業が、自民党政治資金団体である「国民政治協会」に6億177万2千円の献金をしていたことが判明したている。これを報じた新聞赤旗(2024年12月19日)によれば、革新軽水炉の開発を手掛けている日立製作所3500万円、原発建設に使われる鉄鋼を供給する日本製鉄3200万年、JFEスチール1300万円などである。
原産協会が会員企業に行った調査(原子力発電に係る産業動向調査2024報告書)によると、電力各社の23年度の原発関係支出は、22年度から「運転維持・保守・修繕投資」「機器・設備投資」などが大きく増加し、前年度12%増の2兆510億円にのぼったとしている。
岸田政権による原発回帰路線が、原発関係支出を増加させ、その〝原発マネー”が献金として、自民党に流れた格好になる。同報告書によると、原発関連産業を維持するに当たって優先順位の高い課題を尋ねたところ、回答した会員企業の83%が「政府による一貫した原子力政策の推進」、66%が「原発の早期の再稼動と安定的な運転」(複数回答))をあげている。ここに、エネルギー基本計画の公正さが歪められる大きな原因がある。
一方、原発新増設を含めた活用を促す要望書を提出するなど原発推進の立場を鮮明にしている国民民主党は、電力会社の労働組合である全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)との密接な関係がある。電力総連は、参院選比例区代表選出の2人の「組織内議員」を抱えている。竹詰仁議員は東電労働組合中央執行委員長、電力総連副会長をしていた。浜野喜史議員は関西電力労働組合書記長、電力総連会長代理などをしていた。電力総連の政治団体である「電力総連政治活動委員会」の政治資金収支報告書」(21~23年)によれば、竹詰氏は参議選を翌年に控えた21年に5000万円、22年に1000万円、23年も1000万円受け取っている。浜野氏も23年に2000万円を受け取っている。こうした巨額の献金も公正さを歪めるものとなっている。
エネルギー基本計画は国の進み方、国民の暮らし方に大きな影響があるのに国会の審議の対象にもせず、「閣議決定」としている。
閣議決定案となるエネルギー基本計画の見直しを議論する経産省の審議会「総合資源エネルギー調査基本政策分科会」は、原産協会の橋本英二日本製鉄代表取締役会長や三井住友銀行の工藤禎子取締役などをはじめ原発推進者が多数を占めた恣意的な委員選出となっており、公平さはない。
〈最高裁の「事故の責任は国にない」判決を覆すことも、大きな課題〉
2022年6月17日の最高裁判決は、国に忖度した酷い判決であった。いま、最高裁がおかしいとの声が生まれている。昨年10月の総選挙と同時に行われた最高裁裁判官国民審査で、投書者の10人に一人以上の人が退任を求めたことに表れている。最高栽の不当判決を必ず覆す運動が求められている。
「ノーモア原発公害市民連」が樋口英明元裁判官著「原発と司法」(岩波ブクレット)の1万部普及運動を提起して奮闘を開始いている。
〈最後に〉
日本の公害の原点と言われる足尾銅山鉱毒問題に身を投げ打って取り組んだ田中正造は「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を壊さず、人を殺さざるべし」と喝破した。原発事故は足尾銅山公害よりも酷い被害をもたらしている。原発反対の声も国民的広がりを見せている。
にもかかわらず、福島の苦しみの実情を無視し、事故がなかったかのように政府・電力会社は原発再稼動、60年以上の運転、新増設などに猛進している。「原発もやむを得ない」と容認する国民の声も増えている。ともすれば前途は暗いものと見えてしまう。
それだけに、わたしたちには、「願望からではなく事実から出発し、運動をバラバラでなく連関の中でとらえ、固定したものとしてでなく変化発展のなかでとらえること」が求められる。
原発事故は人間が犯した愚かな過ちで、福島はかくも大きな苦しみを背負った。自然災害と違って防ぐことが出来た災害である。だから人間が未然に防ぐことができるものとして今後に希望はある。
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浜通りの現地視察にご参加の皆さんへ―福島からの訴え
2024年秋 伊東達也
1) 福島県の面積は47都道府県の中で3番目です。
2) 県内の市町村は59で、地方議会は県議会を含めて60の議会があります。
3) 59の市町村は大きく以下のように3区分されるのが一般的です。
西側が会津地方(新潟県側、磐梯山や猪苗代湖などが有名)…17市町村
中央部が中通地方(阿武隈川が流れ、4号国道・東北新幹線)…29市町村
太平洋岸が浜通り地方(阿武隈山地、6号国道・常磐線) …13市町村
福島第一原発事故はこれら59市町村すべてに被害をもたらしました。
一例をあげれば、福島県産の牛肉価格は事故直後に全国平均より29.4%も低下、2023年になっても11.5%の低い水準となっている。
4) 東京電力福島第一(6基)は浜通りの大熊町と双葉町に立地し、第二原発(4基)は楢葉町(ならはまち)と富岡町に立地しています。
双方とも2町にまたがっていますが「自然条件として適地」だからよりは隣町からの反対運動が出ることを恐れたためと見られます。
双方とも2町にまたがっていますが「自然条件として適地」だからよりは隣町からの反対運動が出ることを恐れたためと見られます。
5) 過酷事故発生後、県民世論が高まり新婦人の会福島本部が提出した「第一原発と第二原発の廃炉を求める」請願が県議会で5人が退席するも採択され、59市町村議会でも次々と採択されました。
さらに前知事や福島大学元学長、著名な住職、牧師、宮司などが代表の「県内全すべての原発の廃炉求める会」が結成されて一大県民運動を繰り広げました。
こうして東電はついに第二原発の廃炉を2019年7月に表明するに至り、県民の力で福島原発全10基廃炉を勝ち取りました。原発設置を許した13道県で最初に原発ゼロの道を切り開きました。
さらに前知事や福島大学元学長、著名な住職、牧師、宮司などが代表の「県内全すべての原発の廃炉求める会」が結成されて一大県民運動を繰り広げました。
こうして東電はついに第二原発の廃炉を2019年7月に表明するに至り、県民の力で福島原発全10基廃炉を勝ち取りました。原発設置を許した13道県で最初に原発ゼロの道を切り開きました。
6)過酷事故発生による損害額は、政府発表で2011年に6兆円、2013年に11兆円、2016年に21.5兆円、2023年に23.4兆円とされていますが、現在は25兆円程度とみられています。
この25兆円は、東電の年間売り上げ額が約5兆円、利益はその5%であるので年250億円。つまり巨大企業の100年分の利益が消しとんでいることを示しています。
この25兆円は、東電の年間売り上げ額が約5兆円、利益はその5%であるので年250億円。つまり巨大企業の100年分の利益が消しとんでいることを示しています。
7)最もひどい被害が続いている避難指示が出た地域を持つ12市町村の実態を幾つか上げます。
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・避難指示が解除された区域での小中学校の通学者数.docx (19KB)(資料1)
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「虎に翼」から「核も戦争もない世界」を展望する!!
被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞した。被団協の活動を身近で見てきた私としても、すごくうれしい。地獄の体験をした被爆者が「人類と核は共存できない」、「被爆者は私たちを最後に」と世界に訴え、核兵器が使用されることを防いできたことを思えば、この受賞はむしろ遅かったくらいだとも思う。この受賞が「核兵器も戦争もない世界」を実現する上でおおいに役に立ってもらいたいと願っている。ここでは、その喜びも踏まえて、「原爆裁判」を扱うことで核兵器問題を喚起してくれた「虎に翼」を出汁にして「核も戦争もない世界」を展望してみたい。
日本反核法律家協会
会長 大久保賢一
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会長 大久保賢一
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原発に依存しない地域、コミュニティとは
福島第1原発の事故がもたらした被害は、いうまでもなく相当な範囲に広がっている。それがどのような影響を及ぼしているのかを確定することは非常に困難なことであるといえるだろう。被害の甚大さに加え、さまざまな痛みを、それも深く、多くの人びとに残している。それだけでも、歴史上に類を見ない出来事といいうるであろう。
このような被害の類型の一つとして、しばしばコミュニティの破壊ということがあげられる。確かにそれは、こうした事態の典型だといえるだろう。実際に、この原発の事故によって、もといた居住地から、半ばディアスポラの状態に置かれたかのように、各地へと散らばって避難を余儀なくされた、多くの人びとの存在がそのことを物語っている。
事故の結果、住む家を奪われたうえに、生活していた地域をも回復が困難なほどに破壊された人びとがそこにはいる。こうしたコミュニティの破壊に起因する損害をどのように考えるべきなのだろうか。それは計測可能なものなのであろうか。金銭で補償することができるのだろうか。賠償といっても、なかなかそうのような形での議論は、なじまないものかもしれない。そもそも、生活の場である地域というものは、失ったという実感を持つことが難しいほどに、当たり前にそこにあったものではなかったのだろうか。
こうした状況を考えるのに際して、もしかしたら、日本社会の各地に点在している多くの地域がヒントになるのかもしれない。現在の日本において、少なくない地域が荒廃しているのではないだろうか。そのような地域の実情、とりわけ中山間地におけるそれが、何らかの示唆をもたらしてくれるのではないだろうか。
数多くの中山間にある地域が、目下、疲弊しつつある。このことは否定のしようがないほどの事実ではないだろうか。それも、新自由主義的な市場原理主義が席巻し始めて以降、この傾向が加速されてきたように感じる。すでに、原発事故が起きる以前から、日本の多くの地域では、コミュニティの崩壊が現実味を帯びるほどに、危機的な状況にあったのではないのだろうか。限界集落といった言葉に象徴されるように、地域はもはや回復することが困難なほどのダメージを、すでに被っていたのではないだろうか。
そのような地域の実情を知るにつけ、原発事故で破壊された福島の多くの地域との、驚くほどの類似に気が付かざるをえないだろう。とりわけ、ダムなどの公共事業の予定地とされた地域と共通するところが少なくはないように思える。そもそも、ダムの建設の対象とされた場所は、条件のあまり良好ではない中山間地などに誘致される傾向があり、その点で、原発の立地にも、そのような事情が少なからずあったのは、否定できないだろう。
大規模な公共事業の候補地とされた地域は、その結果、強引に建設を推し進めることが多いために、人間関係をも破壊されてしまうこともまれではなかった。まさに、コミュニティへの回復不能なまでのダメージを与えることとなる。ダムも、原発も、これまでそうしたケースが、ときに悲劇的な結末をともなって、数多く展開されてきた。
ダム建設地でも、それが完成したのちも、多くの課題を残し、ときに、修復困難な影響を与えることが珍しくはない。また、そのような公共事業の対象とはならなかったものの、同様の問題を抱えている地域コミュニティも、少なくはないであろう。もはや地域の疲弊は、日本中の多くの場所で、どこにでもある現象といっても過言ではないだろう。
では、こうした状況を変えていくための展望は、どこにあるのだろうか。ここにこそ、原発に依存しないコミュニティの在り方を考える、その方途があるのではないだろうか。大量に電力を消費するような大規模開発とは、一線を画した、持続的な地域の在り方を考える必要がそこにあるように思える。大量生産、大量消費を前提とする生活スタイルではなく、もっと足元を見据えた生活様式が求められているのではないだろうか。
このような課題を中山間地の実情を通して考えることによって、地域コミュニティに根差した持続的なあり方のヒントが得られるのではないだろうか。それは、原発に依存しない地域であり、人間関係も壊されることのない、当たり前のようにそこにある、ふつうの日々の暮らしを大切にしていく姿勢ではないだろうか。今、原発事故を経験した日本社会に、こうした問題が重く、深くのしかかっているのだといえるだろう。
このような被害の類型の一つとして、しばしばコミュニティの破壊ということがあげられる。確かにそれは、こうした事態の典型だといえるだろう。実際に、この原発の事故によって、もといた居住地から、半ばディアスポラの状態に置かれたかのように、各地へと散らばって避難を余儀なくされた、多くの人びとの存在がそのことを物語っている。
事故の結果、住む家を奪われたうえに、生活していた地域をも回復が困難なほどに破壊された人びとがそこにはいる。こうしたコミュニティの破壊に起因する損害をどのように考えるべきなのだろうか。それは計測可能なものなのであろうか。金銭で補償することができるのだろうか。賠償といっても、なかなかそうのような形での議論は、なじまないものかもしれない。そもそも、生活の場である地域というものは、失ったという実感を持つことが難しいほどに、当たり前にそこにあったものではなかったのだろうか。
こうした状況を考えるのに際して、もしかしたら、日本社会の各地に点在している多くの地域がヒントになるのかもしれない。現在の日本において、少なくない地域が荒廃しているのではないだろうか。そのような地域の実情、とりわけ中山間地におけるそれが、何らかの示唆をもたらしてくれるのではないだろうか。
数多くの中山間にある地域が、目下、疲弊しつつある。このことは否定のしようがないほどの事実ではないだろうか。それも、新自由主義的な市場原理主義が席巻し始めて以降、この傾向が加速されてきたように感じる。すでに、原発事故が起きる以前から、日本の多くの地域では、コミュニティの崩壊が現実味を帯びるほどに、危機的な状況にあったのではないのだろうか。限界集落といった言葉に象徴されるように、地域はもはや回復することが困難なほどのダメージを、すでに被っていたのではないだろうか。
そのような地域の実情を知るにつけ、原発事故で破壊された福島の多くの地域との、驚くほどの類似に気が付かざるをえないだろう。とりわけ、ダムなどの公共事業の予定地とされた地域と共通するところが少なくはないように思える。そもそも、ダムの建設の対象とされた場所は、条件のあまり良好ではない中山間地などに誘致される傾向があり、その点で、原発の立地にも、そのような事情が少なからずあったのは、否定できないだろう。
大規模な公共事業の候補地とされた地域は、その結果、強引に建設を推し進めることが多いために、人間関係をも破壊されてしまうこともまれではなかった。まさに、コミュニティへの回復不能なまでのダメージを与えることとなる。ダムも、原発も、これまでそうしたケースが、ときに悲劇的な結末をともなって、数多く展開されてきた。
ダム建設地でも、それが完成したのちも、多くの課題を残し、ときに、修復困難な影響を与えることが珍しくはない。また、そのような公共事業の対象とはならなかったものの、同様の問題を抱えている地域コミュニティも、少なくはないであろう。もはや地域の疲弊は、日本中の多くの場所で、どこにでもある現象といっても過言ではないだろう。
では、こうした状況を変えていくための展望は、どこにあるのだろうか。ここにこそ、原発に依存しないコミュニティの在り方を考える、その方途があるのではないだろうか。大量に電力を消費するような大規模開発とは、一線を画した、持続的な地域の在り方を考える必要がそこにあるように思える。大量生産、大量消費を前提とする生活スタイルではなく、もっと足元を見据えた生活様式が求められているのではないだろうか。
このような課題を中山間地の実情を通して考えることによって、地域コミュニティに根差した持続的なあり方のヒントが得られるのではないだろうか。それは、原発に依存しない地域であり、人間関係も壊されることのない、当たり前のようにそこにある、ふつうの日々の暮らしを大切にしていく姿勢ではないだろうか。今、原発事故を経験した日本社会に、こうした問題が重く、深くのしかかっているのだといえるだろう。
(北村 浩/日本科学者会議)
フクシマ現地調査随行記 ~ 深まる「先の見えない苦しみ」と住宅街のイノシシ ~
11月3日、公害弁連などが取り組んだ「フクシマ現地調査」に参加させてもらった。
朝、いわき市役所前で調査のマイクロバスに拾ってもらい、国道6号線を北上し、富岡町の帰還困難地区の手前まで行き、いわきに引き返すルート。北上するにつれて町や村、畑の様相が大きく変化するのが印象的であった。
まずはいわき市の北部に位置する四倉・道の駅から久ノ浜。このあたりは津波の大きな被害にあった地域。私たちのバスが走る国道6号線で海からの津波が止められて、国道の山側は被害を受けずに済んだという。北上する道路の右と左で全く景色が異なる。津波は7波わたって押し寄せ、第2波が最も大きかったとか。その為、第1波が引いてやれやれと家に戻りかけた多くの人々が犠牲になったという。被害から2年7ヶ月を経て、被害の跡はすさまじいものがある。しかし現在被害建物のほとんどは撤去され、更地にとして整理されてきている。 いわき市から広野町に入る。20キロ~30キロ圏内で全町民が避難した町。避難準備区域が解消され「避難解除地域」になった地域。役場も避難先のいわき市から戻り、小中学校も再開したが、未だ事故時の人口5400人の内、約2割しか戻っておらず、小中学生も、いわき市の仮設住宅からバスで通学しているという。
北隣の楢葉町との境(20キロ地点)に「Jヴィレッジ」という、東電が原発造設を早く認めてほしいと福島県に贈った、130億円を投じた東洋一を誇るサッカー練習場等のスポーツ施設があったが、ここは今や、事故収束に働く労働者達の終集結場になっている。第一原発に作業に行った人たちは、作業場からのバスをここで乗り換えなければならないという。第一原発の作業場に行った車両は、ここより外には行けないとか。ビレッジの裏側は、除染による汚染物を詰めた、例の黒い袋が3段に積み上げられ、累々と拡がる集積場になっていた。最近になって作ったという塀に囲われて外からは見にくくなっていた。
広野町から楢葉町に入っていくと北上するにつれて、次第に人影が見えず人々の生活のにおいが薄くなっていく。楢葉町は「警戒区域」が解除されて「避難指示解除準備地域」となった地域。泊まることは出来ないが、日中の出入りは可能になった、除染作業の地域である。集落と広々とした元田・畑が拡がる。除染作業の進んでいる場所は、畑や田んぼにはなっていなくても、それなりに畦と畑らしい形が見て取れるが、北上するに連れて、一面のセイタカアワダチソウとススキの群生地で、畦なども跡形も見えない。
楢葉町では600年以上続く古刹、宝鏡寺に寄せて頂く。第30代住職の早川篤雄さんは、40年来原発反対運動に取り組んでこられたが、事故に遭い、現在はいわき市に避難しておられる。宝鏡寺も除染した(住まいから20メートルの範囲までが除染される)直後は線量が下がったものの、すぐ元に戻ってしまったという。山が除染されていないのだから、当然である。裏の山に山桜をたくさん植えていて、老後は、春の花、秋の紅葉を楽しんで孫と過ごす日を夢見ていたが全てダメになったと、話しておられた。早川さんは、事故後、率先してお寺の田んぼを汚染物の仮置き場に提供しておられる。
宝鏡寺で、もう一人避難者の方のお話を伺った。同じく楢葉町の金井直子さん。昨年4月の第一回「『原発と人権』全国研究・交流集会in福島」の全体集会で、被害者市民の一人としてご報告を頂いた方である。「先の見えない苦しみ」に耐えながらがんばっておられる報告が印象的であった(ご参考「法と民主主義」2012年8/9合併号)。今回あれから1年半を経過してお話を伺って、未だに何時帰ることが出来るか見通しも立たず、「先の見えない苦しみ」が更に更に重くのしかかっていることが感じられて、改めて避難している住民被害者の置かれている状況の厳しさの一端を思わされた。住まいも、事故から2年半以上を経過して、多くの家がネズミなどのすみかになっていて、戻っても到底住めそうにない状態になっているという。
更に北上して富岡町に入る。全市が「警戒区域」から、この3月に、3分割され、富岡駅周辺など、一部が「避難準備区域」や、「居住制限区域」となった。途中マイクロバスを降りて、富岡駅までかつての商店街を歩く。家の座敷の中に乗用車がひっくり返って収まっている。津波で流されて家の中に入ってしまい、そのままになっているのだ。駅の隣の3階建ての建物は左半分だけがひしゃげて潰れたままになっている。富岡駅の駅舎は流され、ホームと線路が草に埋もれていた。ここは、地震と津波で破壊されたまま全く人の手を入れることも出来ないままに放置され、2年半を越える月日だけが過ぎているのだ。
更に北上して桜の花見道路で有名な「夜の森」方向へ向かう。マイクロバスが住宅街を通過中、「ア!イノシシだ!」の声に慌てて前方を見ると、確かにイノシシが道路を横切って、左側の住宅の庭に入っていくところであった。一瞬のことだったが、逆光で黒く見えるイノシシのシルエットが思った以上に大きく見えた。このあたりは、「イノシシが出る。イノシシと飼育されていた豚が交配してイノブタが生まれ、野生化している」との説明が事前にあったが、まさにお話の通り、住宅地の中を闊歩しているのだ。
夜の森地区の「帰還困難区域」の手前で道は封鎖されており、ここから引き返す。このあたりは、道路の左側は「帰還困難区域」で住宅はバリケードで封鎖されている。右側は昼間の立ち入りは可能とされていてバリケードが撤去されており、左側と対照的ではあるものの、人影もなく荒れ果てている。バスで通過中も、線量計は小数点以下から数マイクロシーベルトの範囲をめまぐるしく変化した。通過している場所、バスの中での位置等で大きく変わるようである。「空間線量モニターはあらゆる方向からの放射線を拾うが、個人線量計は首からかると背後から被曝した放射線が減衰する。結果として線量が低く出る。」そして、原子力規制委員会は、住民の帰還目安となる被曝線量について、この個人線量計を採用する方向で合意したというのが、11月13日の東京新聞(朝刊)の記事である。
「東京に帰ったら、こうした福島の有様を是非周りの人々に伝えてほしい」と、今回案内をして下さった佐藤さんが強調された。原発被害の質的な、そして量的な深刻さをリアルに垣間見させて頂いた調査だった。
朝、いわき市役所前で調査のマイクロバスに拾ってもらい、国道6号線を北上し、富岡町の帰還困難地区の手前まで行き、いわきに引き返すルート。北上するにつれて町や村、畑の様相が大きく変化するのが印象的であった。
まずはいわき市の北部に位置する四倉・道の駅から久ノ浜。このあたりは津波の大きな被害にあった地域。私たちのバスが走る国道6号線で海からの津波が止められて、国道の山側は被害を受けずに済んだという。北上する道路の右と左で全く景色が異なる。津波は7波わたって押し寄せ、第2波が最も大きかったとか。その為、第1波が引いてやれやれと家に戻りかけた多くの人々が犠牲になったという。被害から2年7ヶ月を経て、被害の跡はすさまじいものがある。しかし現在被害建物のほとんどは撤去され、更地にとして整理されてきている。 いわき市から広野町に入る。20キロ~30キロ圏内で全町民が避難した町。避難準備区域が解消され「避難解除地域」になった地域。役場も避難先のいわき市から戻り、小中学校も再開したが、未だ事故時の人口5400人の内、約2割しか戻っておらず、小中学生も、いわき市の仮設住宅からバスで通学しているという。
北隣の楢葉町との境(20キロ地点)に「Jヴィレッジ」という、東電が原発造設を早く認めてほしいと福島県に贈った、130億円を投じた東洋一を誇るサッカー練習場等のスポーツ施設があったが、ここは今や、事故収束に働く労働者達の終集結場になっている。第一原発に作業に行った人たちは、作業場からのバスをここで乗り換えなければならないという。第一原発の作業場に行った車両は、ここより外には行けないとか。ビレッジの裏側は、除染による汚染物を詰めた、例の黒い袋が3段に積み上げられ、累々と拡がる集積場になっていた。最近になって作ったという塀に囲われて外からは見にくくなっていた。
広野町から楢葉町に入っていくと北上するにつれて、次第に人影が見えず人々の生活のにおいが薄くなっていく。楢葉町は「警戒区域」が解除されて「避難指示解除準備地域」となった地域。泊まることは出来ないが、日中の出入りは可能になった、除染作業の地域である。集落と広々とした元田・畑が拡がる。除染作業の進んでいる場所は、畑や田んぼにはなっていなくても、それなりに畦と畑らしい形が見て取れるが、北上するに連れて、一面のセイタカアワダチソウとススキの群生地で、畦なども跡形も見えない。
楢葉町では600年以上続く古刹、宝鏡寺に寄せて頂く。第30代住職の早川篤雄さんは、40年来原発反対運動に取り組んでこられたが、事故に遭い、現在はいわき市に避難しておられる。宝鏡寺も除染した(住まいから20メートルの範囲までが除染される)直後は線量が下がったものの、すぐ元に戻ってしまったという。山が除染されていないのだから、当然である。裏の山に山桜をたくさん植えていて、老後は、春の花、秋の紅葉を楽しんで孫と過ごす日を夢見ていたが全てダメになったと、話しておられた。早川さんは、事故後、率先してお寺の田んぼを汚染物の仮置き場に提供しておられる。
宝鏡寺で、もう一人避難者の方のお話を伺った。同じく楢葉町の金井直子さん。昨年4月の第一回「『原発と人権』全国研究・交流集会in福島」の全体集会で、被害者市民の一人としてご報告を頂いた方である。「先の見えない苦しみ」に耐えながらがんばっておられる報告が印象的であった(ご参考「法と民主主義」2012年8/9合併号)。今回あれから1年半を経過してお話を伺って、未だに何時帰ることが出来るか見通しも立たず、「先の見えない苦しみ」が更に更に重くのしかかっていることが感じられて、改めて避難している住民被害者の置かれている状況の厳しさの一端を思わされた。住まいも、事故から2年半以上を経過して、多くの家がネズミなどのすみかになっていて、戻っても到底住めそうにない状態になっているという。
更に北上して富岡町に入る。全市が「警戒区域」から、この3月に、3分割され、富岡駅周辺など、一部が「避難準備区域」や、「居住制限区域」となった。途中マイクロバスを降りて、富岡駅までかつての商店街を歩く。家の座敷の中に乗用車がひっくり返って収まっている。津波で流されて家の中に入ってしまい、そのままになっているのだ。駅の隣の3階建ての建物は左半分だけがひしゃげて潰れたままになっている。富岡駅の駅舎は流され、ホームと線路が草に埋もれていた。ここは、地震と津波で破壊されたまま全く人の手を入れることも出来ないままに放置され、2年半を越える月日だけが過ぎているのだ。
更に北上して桜の花見道路で有名な「夜の森」方向へ向かう。マイクロバスが住宅街を通過中、「ア!イノシシだ!」の声に慌てて前方を見ると、確かにイノシシが道路を横切って、左側の住宅の庭に入っていくところであった。一瞬のことだったが、逆光で黒く見えるイノシシのシルエットが思った以上に大きく見えた。このあたりは、「イノシシが出る。イノシシと飼育されていた豚が交配してイノブタが生まれ、野生化している」との説明が事前にあったが、まさにお話の通り、住宅地の中を闊歩しているのだ。
夜の森地区の「帰還困難区域」の手前で道は封鎖されており、ここから引き返す。このあたりは、道路の左側は「帰還困難区域」で住宅はバリケードで封鎖されている。右側は昼間の立ち入りは可能とされていてバリケードが撤去されており、左側と対照的ではあるものの、人影もなく荒れ果てている。バスで通過中も、線量計は小数点以下から数マイクロシーベルトの範囲をめまぐるしく変化した。通過している場所、バスの中での位置等で大きく変わるようである。「空間線量モニターはあらゆる方向からの放射線を拾うが、個人線量計は首からかると背後から被曝した放射線が減衰する。結果として線量が低く出る。」そして、原子力規制委員会は、住民の帰還目安となる被曝線量について、この個人線量計を採用する方向で合意したというのが、11月13日の東京新聞(朝刊)の記事である。
「東京に帰ったら、こうした福島の有様を是非周りの人々に伝えてほしい」と、今回案内をして下さった佐藤さんが強調された。原発被害の質的な、そして量的な深刻さをリアルに垣間見させて頂いた調査だった。
海部幸造(日民協)
政権与党の幹事長殿から「テロリスト」扱い(?)された私(笑・・・ごとではないか)

そんな中、11月29日(金)のお昼には、秘密保護法案を廃案にさせようと、緊急の国会行動が行われ、参院議員会館前の歩道に300人を超える方々が参加し、「秘密保護法案、廃案!!」の声を挙げました。
同行動では、田村智子参院議員が国会情勢報告し、吉良よし子参院議員があいさつしました。その他、全労連、新日本婦人の会など の方々からもアピール・報告がありました。
また、私も、自由法曹団所属の弁護士として、同法案の反憲法的・反人権的性格(行政権力に対し広範な情報につき秘密指定させる 権限を与え、主権者である国民の代表機関=国会や、法の支配の下で行政権力の法的コントロールを行う司法権=裁判所のコントロールを及ぼせなくなる危険性、国民の情報へのアクセスを阻害し、情報取得の活動を萎縮させる危険性など)などについてお話しさせていただきました。
特に、あの3.11東京電力福島第一原発事故の際、政府が、放射性物質拡散に関する適切な情報を国民に与えなかったことによって、多くの避難者の方々が放射線に被曝をしてしまった可能性のあること、「原発情報がテロ関連情報に当たる」として、これに関する情報が「秘密」指定されてしまい、今後、政府などが行おうとしている原発再稼働後の安全性管理などについての情報も、国民の目から隠されてしまう危険があることなどもお話しさせていただきました。
そんな中、こんな報道を目にしました。それは、政権与党の幹事長の立場にある、「あの方」が、11月29日付の自身のブログの中で、こんなことを述べた、というものです。
「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。」
・・・「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています。」、「絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」・・・だって。
うわー、これって、私、政権与党の幹事長殿から、「『テロリスト』とその本質においてあまり変わらない人物」扱いされた、ってことでしょうか(笑、・・・否、「笑いごと」では済まないか?)。
一応、その後の報道では、同幹事長殿、「テロ」云々の部分を撤回する意向を示しているようですが、ホント、同幹事長殿、ひいては、同法案の「本音」の部分を垣間見たようで・・・
「原発と人権」ネットワーク事務局次長 弁護士 柿沼真利
福島・住宅除染の現場で考える
はじめに
2013年4月の地下貯水槽もれ報道から始まり、この秋は、次々やって来る台風の影響もあって汚染水漏れ報道の毎日であった。このため、地上に降り注いだ放射性物質問題である‘除染’の報道がめっきり減ったと感じている。
汚染水漏れ報道の間隙をつき、平成25年10月18日「汚染状況重点調査地域における除染の進捗状況調査(第5回)の結果について」(環境省)(1)を取り上げた報道があった。改めて、汚染水ばかりでなく、地上の除染についても数々の問題を抱えていることを知っていただきたく、住宅除染問題を中心に本稿を記す。
1.除染とは
‘除染’という言葉は、今回の事故がなければ、耳にすることもない方が大部分だったであろう。環境省の定義は「除染とは、生活する空間において受ける放射線の量を減らすために、放射性物質を取りのぞいたり、土で覆ったりすること」である。
その対象地域は、放射性物質汚染対処特措法に基づき汚染状況重点調査地域に指定されている岩手県、宮城県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県及び千葉県下の市町村にまたがる地域となる。管轄官庁の主体は環境省である。放射線量により(1)除染特別地域(楢葉町、富岡町、大熊町など11市町村)(2)汚染状況重点調査地域に分かれる。
図1除染特別区域
(2)では、福島県内の福島市、郡山市など40市町村をはじめ、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉県に及ぶ62市町村である。いかに原発事故の影響が広範囲であるかがこれだけみても明らかである。
環境省による除染の目標は、表1となっている。(2)
線量によって地域を分け、それぞれの地域に目標設定している。本稿は、まだ避難が続いている高線量地域ではなく、おもに福1原発から約20~30kmの居住者の存在する地域の住宅および居住地域での除染を中心に記述していきたい。
・・表1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<除染の目標 環境省除染情報サイト>
現在の年間追加被ばく線量が20ミリシーベルト以上の地域を段階的かつ迅速に縮小することを目指します。
○現在20ミリシーベルト未満の地域では、長期的に年間1ミリシーベルト※以下になることを目指します。
※1ミリシーベルトという数値は、放射線防護措置を効果的に進めるための目安で、「これ以上被ばくすると健康被害が生じる」という限度を示すものではありません。「安全」と「危険」の境界を意味するものでもありません。
(出典:低線量被ばくのリスクに関するワーキンググループ報告書)
○追加被ばく線量 年間20ミリシーベルト以上の地域
その地域を段階的かつできるだけ早く縮小することを目指します。
ただし、そのうち特に高い地域については、長期的な取組となる見込みです。
○追加被ばく線量 年間20ミリシーベルト未満の地域
長期的に年間追加被ばく線量が1ミリシーベルト以下になることを目標とします。
また平成25年8月末までに、一般の人の年間追加被ばく線量をその2年前とくらべて約50%減少させることを目指します。
同様に、子どもの年間追加被ばく線量は、学校や公園など子どもの生活環境を優先的に除染することによって約60%減少させることを目指します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2.除染対象
地表面の対象としては、森林山地・農用地・住宅地域に大きく分けられる。本論に移る前に森林山地と農用地の除染現状について若干触れたい。
<森林山地>
環境省第5回環境回復検討会は、2012年7月25日、住居近くの森林は別として、森林全体の除染は「必要がない」とする方針を発表した。広大な山地を再生する国の責務を放棄するということだ。
直ちに、地元から猛反発が起こった。わずか1ヵ月後の9月19日、環境回復検討会はこれを撤回し、森林全体の除染について『今後、調査研究を進めた上で判断することが適当』とする中間報告を取りまとめた。
この時、除染実施の可能性を探るとして、「県は防護柵をつくり、ゼオライトやプルシアンブルーなどの放射性セシウムの吸着効果がある物質を入れた袋を斜面上部に敷き詰める。間伐作業を始める地域で、雨水などが通る場所を選んで設置し、防護柵を通過する水に含まれる放射性物質の量を抑制する。県は設置費用を1カ所当たり1万円程度、1万カ所で1億円と見込み、国の森林再生の関連事業費を充てる方向で関係省庁と協議している」(3)と公表されたが、2013年秋現在、実施事例は聞こえてこないことから、計画は頓挫しているようだ。
また、住宅から20mの森林しか除染対象にしないという点も地元の反発を買っている。
反発への対応として、2013年8月26日井上環境副大臣は「生活に影響があるところは20mにこだわらず、しっかりやっていく」と明言したが、約25mに広げる、あるいは、森林の中にあるキャンプ場やシイタケ栽培のホダ場なども対象に含めるという程度の「しっかりやる」である。
<農用地>
森林山地と同様、除染も遅れ、効果も頭打ちとの報道がなされている。(4)
田畑の国の除染方針は、表土はぎ(表層5cmほどはぎ取り、別の土を入れる)、反転耕(表土30cmを下の土と入れ替える)となっている。また農業用水の汚染についても、ため池等に沈積した放射性物質がその用水への新たな供給源になるのではないかと懸念されている。
記憶を呼び起こしていただきたい。2011年の4月頃、事故の大きさに愕然とする日々の中で、「ひまわりは、チェルノブイリでも除染に使われたらしい。福島にひまわりを贈ろう」キャンペーンが始まった。発信元をたどると宇宙航空研究開発機構(JAXA)の山下雅道専任教授が、肩書きはそのままにし、個人の立場で立ち上げたホームページ(2011.4.23)「ヒマワリ作戦」にたどり着く。(5)翌年9月に「効果なし」の国による結論が出され、幕切れとなった。この間、チェルノブイリ・ヒマワリ除染論文を探したが、見つけられなかった。嘘で引き延ばし、2011年のひと夏を持たせれば済ませる役割だったのであろう。
ヒマワリだけでなく、現地では除染効果がないにも関わらず流布された情報も多い。
「ある菌の効果がある」「プルシアンブルーがいいらしい」などの情報に翻弄され、実施してしまった事例も少なくない。
3.住宅除染の実際
住宅除染は、住民にとって最低限の要望である。広大な農用地や県の面積の7割を占める森林については、極めて困難なことは承知しても、自宅の周辺からは放射性物質を遠ざけたい、除去したい気持ちは当然と言えるであろう。
どのくらい住宅除染で低減効果があるのかについて、低減率実績を公表したものは環境省除染チームによる「国及び地方自治体がこれまで実施した除染事業における除染手法の効果について」(平成25年1月)(6)である。福島県としては、「福島県除染・廃棄物会議」(7)があるが、屋根については、目安として、平均34%の除染の低減率が示されているのみであり、除染方法や実績値の公表はない。冒頭に述べた平成25年10月18日「汚染状況重点調査地域における除染の進捗状況調査(第5回)の結果について」(環境省)(1)は、どのくらい除染作業を終了したかの達成率のみの報告である。この達成率にも裏がある。伊達市や郡山市では、屋根の除染は行わないと決めた。どんなに住民が望んでもやらないと決めれば、達成率は上がるのである。(8)
現在、福島県では市区町村毎に大手ゼネコンが振り分けられ(正しくは、入札制度によりそれぞれが受注したのだが、きわめて上手に配分されている)、作業が進行している。このほかに環境省や県の直轄事業としての除染も存在する。平成25年10月18日「汚染状況重点調査地域における除染の進捗状況調査(第5回)の結果について」(環境省)(1)には、「住宅の除染については、着実な除染の進捗が見られ、具体的には、住宅の除染の実績数は前回から約1.6倍の約66000戸となり、実績割合も前回の約30%から、約44%へと大きく増加している」とある。
除染は、このところ縮小傾向にあった公共事業の代替わりとなっている。
涙の国会証言で、一躍名をはせた児玉龍彦氏(東大)は、南相馬市の除染アドバイザーを務めている。2012年2月11日、南相馬市で開催された南相馬世界会議席上で「決意と覚悟をもってコストをかけた除染に。1軒あたり400万円の費用負担を」と訴えた。(9)氏の除染方法に関する論拠としては、「屋根は除染効果が期待できないから、葺き替えること、舗装も剥ぎ取ってやりかえること等」の除染方法に依っていることによる。なるほどゼネコンにとっては、文字通り天から降ったビックビジネスということがわかる。
住宅の除染方法としては、高圧洗浄(ポリッシャーやブラシなどで洗う)(写真1)
写真1
高圧洗浄および紙タオル拭き取り(霧吹きで水分を与え、ペーパータオルで屋根などを拭く)である。除染に使用した水は、凝集剤などで処理をしていることが多い。先の環境省「国及び地方自治体がこれまで実施した除染事業による除染手法の効果について」によると、屋根は高圧洗浄で55%、洗浄(ブラッシング併用)で40%、紙拭き取りは15%の低減率であった。現状では、除染水の処理や除染時の洗浄水の拡散等の問題から、最も低減率が低いにも関わらず、拭き取りが採用されている。つまり、効果のない方法が多用されている。
4.地元企業の提言・実践
福島県の南相馬市の建設コンサルタント会社では、より効果的で簡便な除染法として、過酸化水素洗浄+モミガラ浄化法を開発・実施している。これは消毒用のオキシフルと同じ濃度の3.5%程度の過酸化水素水を静かに屋根等に噴霧し、回収した除染に使った溶液中のセシウムをモミガラでフィルタリングして回収するシステムである。(写真2)
モミガラによる放射性セシウム回収システムは、福島県生活環境部により平成2 3 年度福島県除染技術実証事業実地試験結果、「効果あり」と認定もされている。(10)
この除染法は、使用材料が極めて安価であること、過酸化水素水を噴霧することにより面的に均一な除染が可能なこと、(高所作業車等から遠隔で噴霧するため)屋根に登る必要がなく作業の安全性とそのスピードに優れ、低線量の場所にも有効であることなど、自分達の生活の場の問題を解決しようとする地元企業ならではの細かい配慮がなされているのが大きな特長である。
先に述べた福島県の提示した住宅除染低減率の目安(7)は、屋根について34%、また、環境省実績(6)の高圧洗浄で平均55%、紙タオル拭き取りで15%となっている。これらに比べ、過酸化水素水洗浄法では、平均75%を示している。しかも環境省データは、線量2000cpm以上とその統計数値を限定しているが、過酸化水素水洗浄法の実績では、相馬市玉野地区という飯館村の北側の集落約150軒余りの線量2000cpm以下の結果である。一般に高線量で除染効果が高く、低線量では除染効果が低い傾向にある。条件が悪い中でも高い低減率を示すことは、注目に値するであろう。
また地元企業ならではの住民とのコミュニケーションが成立している除染作業で、除染前後の室内計測も同時に行われている。屋根に近い部屋での測定結果をみると、室内の低減率が約40%にもなる。つまり、室内の空間線量率は屋根の汚染の影響が大きいのである。(11)
2012年11月2日、この方法での相馬市玉野地区、150軒の除染実績に対し、環境省の見解が、河北新報(12)で報道された。「相馬市は『除染に使用した水の放射性物質濃度を極力下げないと市民は不安を覚える』との見解。これに対し『環境省は、放射線量がある程度低ければ排出して構わない』との立場。除染水の排出基準がなく、両者が一致点を見いだせない」というもの。
排水基準については、これまでの原子力施設からの排水基準は、放射性セシウムではCs134:60Bq/kg以下・Cs137:90Bq/kg以下となっている。これまで経験のない除染水の排水基準は、明確な規定はなかった。このため、除染の排水基準として、原子力施設からの排水基準に準じて排水することとしている。しかしながら、これらの排水が下流の河川に流れ込み、水道水の取水設備(相馬市の水道の水源)や港湾(ここでは県立公園の松川浦と漁港)等の地元ならではのデリケートな問題があったために、さらなる厳しい基準の適用の要請があった。このような相馬市の見解は、市民感覚では納得できるが、除染業務の発注者側である国はそうは思わないらしい。
おわりに
除染が順調に進んでいないこと、膨大な費用を使うことを理由に「除染しても無駄だ」という主張が少なからず聞こえてくる。そこに暮らす住民の要望、除染の対象とその地域の線量の差などを考慮しないで、ひとまとめのこの主張はそのまま受け取れない。警戒区域ではない居住が続く比較的高い線量の地域では、屋根の除染は居住者への被ばく線量を減らす効果が大きいからである。
また「除染は、所詮移染にすぎない」という声もよく聞く。確かにその通りではあるが、除染で発生した汚染物質の収集とこれの「減容化」は、たいへん重要な対応策である。前述した150軒の住宅の除染で発生した汚染水の浄化に使用したモミガラの総量はフレコンバック5袋分(計5m3)に留まったという。これを児玉氏が言うように屋根やアスファルトをはがした場合には、どれほどの量の廃棄物になるであろうか。
原発事故の影響は広範囲に及び、これまで、環境省の扱う環境影響項目のなかで放射性物質は除外項目であった。しかし、今回の福島事故で、除染については環境省管轄下におかれた。福島県は2013年11月14日、県内1600ヵ所の農業用ため池の底質の30%が指定廃棄物の基準値である8000ベクレルを超える高濃度と発表された。(13)これに対し、「環境省は、農業用ダム・ため池は除染対象ではないので、一切の対応は行わない」と言う。また、このような農水省関連の放射性物質の保管場所としては、環境省が現在調査を進めている中間処分場への搬入はできないこととなっている。
今回の事故対応の中、様々な場面で、いやというほど縦割り行政の弊害を感じた。行政は、縦に割らなければ仕事は進まないことは十二分に承知している。しかし、減速材が水である軽水炉原発での大規模事故は人類始まって以来の危機といえるのではないか。これに直面している我が国はもう少し、行政の垣根を越えて互いに協力して望むことはできないのであろうか
また、除染に関しては、現在居住できない高線量地域についての次のような問題が起こると予想される。
2013年11月26日、福島のNHKニュースは、「楢葉町では現在実施されている除染の効果を評価し、住民が帰還する時期を判断するために、楢葉町除染検証委員会(委員長;児玉龍彦東大教授)を設置し、初会合を行った。楢葉町の直轄除染は、来年3月末までに終了、国が持っている除染効果のデータを基に検証し、帰還区域・帰還時期等を判断することになる」と、報道した。
除染結果が、「除染がすんだのだから、帰還しろ」と「事故はあったが、もう回復している」の広告塔にされる危険性が大きい。
放射性物質が降り注いだ地域に住んでいた、あるいは住んでいる市民の生活と健康をまもることを第一義においた除染作業になることを切に願う。
権上かおる 紹介
長年、環境調査NGO酸性雨調査研究会で、大気汚染や酸性雨を中心とした環境調査活動を行っている。同会では、浮遊粒子状物質の市民でもできる調査法も開発し、ぜんそく患者さんが起こした東京大気汚染公害裁判支援の中でも活用した。
3.11事故後、会の増田善信代表(気象学者)らと、「おそれて、こわがらず―放射線に立ち向かって暮らすために―」を公開し、情報発信を行っている。福島にもたびたび足を運び除染実証実験現場にも立ち会っている。
引用など
(1) http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=17270
(2) http://josen.env.go.jp/about/method_necessity/goal.html
(3) 福島民報新聞、2012年11月26日
(4) 東京新聞2013年6月17日 核心
(5)現在は、元のHPは削除されているようだが、ネット上には多くの残滓が認められる。
一例 http://www.space-education.jp/spaceNews/item_307.html
(6)環境省除染チーム;国及び地方自治体がこれまでに実施した除染事業における除染手法の効果について http://josen.env.go.jp/material/pdf/effects.pdf
(7)福島民報・福島民友 2013年4月25日
(8)福島民報2012年10月3日
(9)南相馬世界会議 2011年2月11日 http://www.minamisoma-fukushima.jp/
(10) http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/jyosen-houkoku0427.pdf 52頁
(11)庄建技術㈱では、除染データ集を希望者に無料配布されている。
申込先 FAX0244-22-6889
e-mail masanori.takahasi@syoken.co.jp
(12)河北新報2012年11月2日
(13)福島民報2013年11月15日
2013年4月の地下貯水槽もれ報道から始まり、この秋は、次々やって来る台風の影響もあって汚染水漏れ報道の毎日であった。このため、地上に降り注いだ放射性物質問題である‘除染’の報道がめっきり減ったと感じている。
汚染水漏れ報道の間隙をつき、平成25年10月18日「汚染状況重点調査地域における除染の進捗状況調査(第5回)の結果について」(環境省)(1)を取り上げた報道があった。改めて、汚染水ばかりでなく、地上の除染についても数々の問題を抱えていることを知っていただきたく、住宅除染問題を中心に本稿を記す。
1.除染とは
‘除染’という言葉は、今回の事故がなければ、耳にすることもない方が大部分だったであろう。環境省の定義は「除染とは、生活する空間において受ける放射線の量を減らすために、放射性物質を取りのぞいたり、土で覆ったりすること」である。
その対象地域は、放射性物質汚染対処特措法に基づき汚染状況重点調査地域に指定されている岩手県、宮城県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県及び千葉県下の市町村にまたがる地域となる。管轄官庁の主体は環境省である。放射線量により(1)除染特別地域(楢葉町、富岡町、大熊町など11市町村)(2)汚染状況重点調査地域に分かれる。
図1除染特別区域
(2)では、福島県内の福島市、郡山市など40市町村をはじめ、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉県に及ぶ62市町村である。いかに原発事故の影響が広範囲であるかがこれだけみても明らかである。
環境省による除染の目標は、表1となっている。(2)
線量によって地域を分け、それぞれの地域に目標設定している。本稿は、まだ避難が続いている高線量地域ではなく、おもに福1原発から約20~30kmの居住者の存在する地域の住宅および居住地域での除染を中心に記述していきたい。
・・表1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<除染の目標 環境省除染情報サイト>
現在の年間追加被ばく線量が20ミリシーベルト以上の地域を段階的かつ迅速に縮小することを目指します。
○現在20ミリシーベルト未満の地域では、長期的に年間1ミリシーベルト※以下になることを目指します。
※1ミリシーベルトという数値は、放射線防護措置を効果的に進めるための目安で、「これ以上被ばくすると健康被害が生じる」という限度を示すものではありません。「安全」と「危険」の境界を意味するものでもありません。
(出典:低線量被ばくのリスクに関するワーキンググループ報告書)
○追加被ばく線量 年間20ミリシーベルト以上の地域
その地域を段階的かつできるだけ早く縮小することを目指します。
ただし、そのうち特に高い地域については、長期的な取組となる見込みです。
○追加被ばく線量 年間20ミリシーベルト未満の地域
長期的に年間追加被ばく線量が1ミリシーベルト以下になることを目標とします。
また平成25年8月末までに、一般の人の年間追加被ばく線量をその2年前とくらべて約50%減少させることを目指します。
同様に、子どもの年間追加被ばく線量は、学校や公園など子どもの生活環境を優先的に除染することによって約60%減少させることを目指します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2.除染対象
地表面の対象としては、森林山地・農用地・住宅地域に大きく分けられる。本論に移る前に森林山地と農用地の除染現状について若干触れたい。
<森林山地>
環境省第5回環境回復検討会は、2012年7月25日、住居近くの森林は別として、森林全体の除染は「必要がない」とする方針を発表した。広大な山地を再生する国の責務を放棄するということだ。
直ちに、地元から猛反発が起こった。わずか1ヵ月後の9月19日、環境回復検討会はこれを撤回し、森林全体の除染について『今後、調査研究を進めた上で判断することが適当』とする中間報告を取りまとめた。
この時、除染実施の可能性を探るとして、「県は防護柵をつくり、ゼオライトやプルシアンブルーなどの放射性セシウムの吸着効果がある物質を入れた袋を斜面上部に敷き詰める。間伐作業を始める地域で、雨水などが通る場所を選んで設置し、防護柵を通過する水に含まれる放射性物質の量を抑制する。県は設置費用を1カ所当たり1万円程度、1万カ所で1億円と見込み、国の森林再生の関連事業費を充てる方向で関係省庁と協議している」(3)と公表されたが、2013年秋現在、実施事例は聞こえてこないことから、計画は頓挫しているようだ。
また、住宅から20mの森林しか除染対象にしないという点も地元の反発を買っている。
反発への対応として、2013年8月26日井上環境副大臣は「生活に影響があるところは20mにこだわらず、しっかりやっていく」と明言したが、約25mに広げる、あるいは、森林の中にあるキャンプ場やシイタケ栽培のホダ場なども対象に含めるという程度の「しっかりやる」である。
<農用地>
森林山地と同様、除染も遅れ、効果も頭打ちとの報道がなされている。(4)
田畑の国の除染方針は、表土はぎ(表層5cmほどはぎ取り、別の土を入れる)、反転耕(表土30cmを下の土と入れ替える)となっている。また農業用水の汚染についても、ため池等に沈積した放射性物質がその用水への新たな供給源になるのではないかと懸念されている。
記憶を呼び起こしていただきたい。2011年の4月頃、事故の大きさに愕然とする日々の中で、「ひまわりは、チェルノブイリでも除染に使われたらしい。福島にひまわりを贈ろう」キャンペーンが始まった。発信元をたどると宇宙航空研究開発機構(JAXA)の山下雅道専任教授が、肩書きはそのままにし、個人の立場で立ち上げたホームページ(2011.4.23)「ヒマワリ作戦」にたどり着く。(5)翌年9月に「効果なし」の国による結論が出され、幕切れとなった。この間、チェルノブイリ・ヒマワリ除染論文を探したが、見つけられなかった。嘘で引き延ばし、2011年のひと夏を持たせれば済ませる役割だったのであろう。
ヒマワリだけでなく、現地では除染効果がないにも関わらず流布された情報も多い。
「ある菌の効果がある」「プルシアンブルーがいいらしい」などの情報に翻弄され、実施してしまった事例も少なくない。
3.住宅除染の実際
住宅除染は、住民にとって最低限の要望である。広大な農用地や県の面積の7割を占める森林については、極めて困難なことは承知しても、自宅の周辺からは放射性物質を遠ざけたい、除去したい気持ちは当然と言えるであろう。
どのくらい住宅除染で低減効果があるのかについて、低減率実績を公表したものは環境省除染チームによる「国及び地方自治体がこれまで実施した除染事業における除染手法の効果について」(平成25年1月)(6)である。福島県としては、「福島県除染・廃棄物会議」(7)があるが、屋根については、目安として、平均34%の除染の低減率が示されているのみであり、除染方法や実績値の公表はない。冒頭に述べた平成25年10月18日「汚染状況重点調査地域における除染の進捗状況調査(第5回)の結果について」(環境省)(1)は、どのくらい除染作業を終了したかの達成率のみの報告である。この達成率にも裏がある。伊達市や郡山市では、屋根の除染は行わないと決めた。どんなに住民が望んでもやらないと決めれば、達成率は上がるのである。(8)
現在、福島県では市区町村毎に大手ゼネコンが振り分けられ(正しくは、入札制度によりそれぞれが受注したのだが、きわめて上手に配分されている)、作業が進行している。このほかに環境省や県の直轄事業としての除染も存在する。平成25年10月18日「汚染状況重点調査地域における除染の進捗状況調査(第5回)の結果について」(環境省)(1)には、「住宅の除染については、着実な除染の進捗が見られ、具体的には、住宅の除染の実績数は前回から約1.6倍の約66000戸となり、実績割合も前回の約30%から、約44%へと大きく増加している」とある。
除染は、このところ縮小傾向にあった公共事業の代替わりとなっている。
涙の国会証言で、一躍名をはせた児玉龍彦氏(東大)は、南相馬市の除染アドバイザーを務めている。2012年2月11日、南相馬市で開催された南相馬世界会議席上で「決意と覚悟をもってコストをかけた除染に。1軒あたり400万円の費用負担を」と訴えた。(9)氏の除染方法に関する論拠としては、「屋根は除染効果が期待できないから、葺き替えること、舗装も剥ぎ取ってやりかえること等」の除染方法に依っていることによる。なるほどゼネコンにとっては、文字通り天から降ったビックビジネスということがわかる。
住宅の除染方法としては、高圧洗浄(ポリッシャーやブラシなどで洗う)(写真1)
写真1
高圧洗浄および紙タオル拭き取り(霧吹きで水分を与え、ペーパータオルで屋根などを拭く)である。除染に使用した水は、凝集剤などで処理をしていることが多い。先の環境省「国及び地方自治体がこれまで実施した除染事業による除染手法の効果について」によると、屋根は高圧洗浄で55%、洗浄(ブラッシング併用)で40%、紙拭き取りは15%の低減率であった。現状では、除染水の処理や除染時の洗浄水の拡散等の問題から、最も低減率が低いにも関わらず、拭き取りが採用されている。つまり、効果のない方法が多用されている。
4.地元企業の提言・実践
福島県の南相馬市の建設コンサルタント会社では、より効果的で簡便な除染法として、過酸化水素洗浄+モミガラ浄化法を開発・実施している。これは消毒用のオキシフルと同じ濃度の3.5%程度の過酸化水素水を静かに屋根等に噴霧し、回収した除染に使った溶液中のセシウムをモミガラでフィルタリングして回収するシステムである。(写真2)
モミガラによる放射性セシウム回収システムは、福島県生活環境部により平成2 3 年度福島県除染技術実証事業実地試験結果、「効果あり」と認定もされている。(10)
この除染法は、使用材料が極めて安価であること、過酸化水素水を噴霧することにより面的に均一な除染が可能なこと、(高所作業車等から遠隔で噴霧するため)屋根に登る必要がなく作業の安全性とそのスピードに優れ、低線量の場所にも有効であることなど、自分達の生活の場の問題を解決しようとする地元企業ならではの細かい配慮がなされているのが大きな特長である。
先に述べた福島県の提示した住宅除染低減率の目安(7)は、屋根について34%、また、環境省実績(6)の高圧洗浄で平均55%、紙タオル拭き取りで15%となっている。これらに比べ、過酸化水素水洗浄法では、平均75%を示している。しかも環境省データは、線量2000cpm以上とその統計数値を限定しているが、過酸化水素水洗浄法の実績では、相馬市玉野地区という飯館村の北側の集落約150軒余りの線量2000cpm以下の結果である。一般に高線量で除染効果が高く、低線量では除染効果が低い傾向にある。条件が悪い中でも高い低減率を示すことは、注目に値するであろう。
また地元企業ならではの住民とのコミュニケーションが成立している除染作業で、除染前後の室内計測も同時に行われている。屋根に近い部屋での測定結果をみると、室内の低減率が約40%にもなる。つまり、室内の空間線量率は屋根の汚染の影響が大きいのである。(11)
2012年11月2日、この方法での相馬市玉野地区、150軒の除染実績に対し、環境省の見解が、河北新報(12)で報道された。「相馬市は『除染に使用した水の放射性物質濃度を極力下げないと市民は不安を覚える』との見解。これに対し『環境省は、放射線量がある程度低ければ排出して構わない』との立場。除染水の排出基準がなく、両者が一致点を見いだせない」というもの。
排水基準については、これまでの原子力施設からの排水基準は、放射性セシウムではCs134:60Bq/kg以下・Cs137:90Bq/kg以下となっている。これまで経験のない除染水の排水基準は、明確な規定はなかった。このため、除染の排水基準として、原子力施設からの排水基準に準じて排水することとしている。しかしながら、これらの排水が下流の河川に流れ込み、水道水の取水設備(相馬市の水道の水源)や港湾(ここでは県立公園の松川浦と漁港)等の地元ならではのデリケートな問題があったために、さらなる厳しい基準の適用の要請があった。このような相馬市の見解は、市民感覚では納得できるが、除染業務の発注者側である国はそうは思わないらしい。
おわりに
除染が順調に進んでいないこと、膨大な費用を使うことを理由に「除染しても無駄だ」という主張が少なからず聞こえてくる。そこに暮らす住民の要望、除染の対象とその地域の線量の差などを考慮しないで、ひとまとめのこの主張はそのまま受け取れない。警戒区域ではない居住が続く比較的高い線量の地域では、屋根の除染は居住者への被ばく線量を減らす効果が大きいからである。
また「除染は、所詮移染にすぎない」という声もよく聞く。確かにその通りではあるが、除染で発生した汚染物質の収集とこれの「減容化」は、たいへん重要な対応策である。前述した150軒の住宅の除染で発生した汚染水の浄化に使用したモミガラの総量はフレコンバック5袋分(計5m3)に留まったという。これを児玉氏が言うように屋根やアスファルトをはがした場合には、どれほどの量の廃棄物になるであろうか。
原発事故の影響は広範囲に及び、これまで、環境省の扱う環境影響項目のなかで放射性物質は除外項目であった。しかし、今回の福島事故で、除染については環境省管轄下におかれた。福島県は2013年11月14日、県内1600ヵ所の農業用ため池の底質の30%が指定廃棄物の基準値である8000ベクレルを超える高濃度と発表された。(13)これに対し、「環境省は、農業用ダム・ため池は除染対象ではないので、一切の対応は行わない」と言う。また、このような農水省関連の放射性物質の保管場所としては、環境省が現在調査を進めている中間処分場への搬入はできないこととなっている。
今回の事故対応の中、様々な場面で、いやというほど縦割り行政の弊害を感じた。行政は、縦に割らなければ仕事は進まないことは十二分に承知している。しかし、減速材が水である軽水炉原発での大規模事故は人類始まって以来の危機といえるのではないか。これに直面している我が国はもう少し、行政の垣根を越えて互いに協力して望むことはできないのであろうか
また、除染に関しては、現在居住できない高線量地域についての次のような問題が起こると予想される。
2013年11月26日、福島のNHKニュースは、「楢葉町では現在実施されている除染の効果を評価し、住民が帰還する時期を判断するために、楢葉町除染検証委員会(委員長;児玉龍彦東大教授)を設置し、初会合を行った。楢葉町の直轄除染は、来年3月末までに終了、国が持っている除染効果のデータを基に検証し、帰還区域・帰還時期等を判断することになる」と、報道した。
除染結果が、「除染がすんだのだから、帰還しろ」と「事故はあったが、もう回復している」の広告塔にされる危険性が大きい。
放射性物質が降り注いだ地域に住んでいた、あるいは住んでいる市民の生活と健康をまもることを第一義においた除染作業になることを切に願う。
権上かおる 紹介
長年、環境調査NGO酸性雨調査研究会で、大気汚染や酸性雨を中心とした環境調査活動を行っている。同会では、浮遊粒子状物質の市民でもできる調査法も開発し、ぜんそく患者さんが起こした東京大気汚染公害裁判支援の中でも活用した。
3.11事故後、会の増田善信代表(気象学者)らと、「おそれて、こわがらず―放射線に立ち向かって暮らすために―」を公開し、情報発信を行っている。福島にもたびたび足を運び除染実証実験現場にも立ち会っている。
引用など
(1) http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=17270
(2) http://josen.env.go.jp/about/method_necessity/goal.html
(3) 福島民報新聞、2012年11月26日
(4) 東京新聞2013年6月17日 核心
(5)現在は、元のHPは削除されているようだが、ネット上には多くの残滓が認められる。
一例 http://www.space-education.jp/spaceNews/item_307.html
(6)環境省除染チーム;国及び地方自治体がこれまでに実施した除染事業における除染手法の効果について http://josen.env.go.jp/material/pdf/effects.pdf
(7)福島民報・福島民友 2013年4月25日
(8)福島民報2012年10月3日
(9)南相馬世界会議 2011年2月11日 http://www.minamisoma-fukushima.jp/
(10) http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/jyosen-houkoku0427.pdf 52頁
(11)庄建技術㈱では、除染データ集を希望者に無料配布されている。
申込先 FAX0244-22-6889
e-mail masanori.takahasi@syoken.co.jp
(12)河北新報2012年11月2日
(13)福島民報2013年11月15日
権上かおる(酸性雨調査研究会)
安全神話の呪縛
福島第1原子力発電所の現状は、止められない汚染水の漏出、小動物の侵入による冷却システムの電源切断、依然として高い数値を示している周辺の放射線量、格納容器の温度上昇によるとみられる水蒸気の発生等々、トラブルが後を絶たず、廃炉に至るまでの道筋が見えない状態が続いている。
3.11直後の原発事故そのものだけでなく、こうした事故後も続くトラブルの続出は、人為によるコントロールが効かない原発の危険性を如実に示しており、安全神話が完全に誤りであって、崩壊するに至っていることを、厳然たる事実をもって証明していると言わなければならない。
安倍政権が発足して以来、「アベノミクス」、消費税増税と一方での法人税減税、TPP参加の推進、解雇規制の緩和、憲法改正、普天間基地の辺野古移転など逆戻りの政策が進められようとしているが、その中の重要政策の1つに原発輸出の推進と国内での原発再稼働のもくろみも含まれている。
このような執拗なまでの原発へのしがみつきは、「原子力村」と言われる財界、政府、官僚、そして原発を推進してきた一部の学者・技術者の一団の利害関係がその原動力をなしていることは言うまでもないが、彼らが今もなお安全神話を唱導し、あるいは国民を説得するために安全神話に依然として依拠できると判断していることを物語っている。既に安全神話が完全に崩壊し、社会全体がそのような観念に囚われなくなっているとすれば、彼らがこの神話に依拠できると判断することは不可能となる筈であり、彼らがまだこの神話を利用できると判断していることからすれば、社会はまだまだこの安全神話の呪縛から脱却できていないと言わなければならない。
実はこの安全神話の呪縛は、歴史的にみて大変根深いものがあり、いわゆる革新的な陣営に属する人々ですらもその多くは、安全神話に囚われていたことは否定できない。
この点を振り返ってみるために、昭和30年代前半に各分野にわたる当時のわが国における先進的な学者、評論家、ジャーナリストの論考を集めた『岩波講座 現代思想』を例にとってみると、次のような論調を垣間見ることができる。
「現代の資本主義の中心であるアメリカにおいては巨大な原子力エネルギイを平和の生産力として利用する方向がはばまれ、もっぱらこれを軍事的に利用する方向がとられているのである。」(羽仁五郎「現代における戦争の性格」(『岩波講座 現代思想 Ⅸ 戦争と平和』S32.5.25所収・41頁) 原子力を「平和の生産力」として利用するのは良いという前提で、これに対比して原子力を「軍事的に利用する方向」には反対であるという思考方法がとられている。
さらにより鮮明に、原子力の軍事的な利用は人類に破滅的な影響をもたらす一方、平和的な利用の場合には安全に管理していく技術やシステムも確立されていくだろうという楽観的な見通しを述べたものもある。やや長くなるがゾルゲ事件に連座して一時朝日新聞を退社したことがあり、『原子力の国際管理』などの著書でも知られるジャーナリストの田中慎次郎の文章を引用してみる。
「軍事・非軍事にわたる多様な利用面のうち、原水爆がもたらした影響はきわめて深刻で、これにくらべれば、非軍事的利用の影響は、おだやかなものである。人間がうまく原子力をこなして行けば、人類社会の幸福に貢献することができる。・・・原子力の場合は、もしこれが原子兵器として、戦場で実際に使用されるようなことがあれば、文字通り、文明の破滅になるし、逆にもし、原子力が平和的にのみ利用されるならば、原則的にいって、それが人類社会の幸福に貢献することができるという、いわば両極端を包蔵している。」(田中慎次郎「原子力時代における人間」(『岩波講座 現代思想 Ⅷ 機械時代』S32.3.25所収・232頁) 「しかしながら、原子力をつかっての平和的利用の場合には、原子炉の数と出力とが増加するにともなって、灰の安全な処理方法の技術も確立されていくだろうし、灰の処理方法についての、国際的な取締り規則も完備されてくるであろうが、どうにも始末のつかないのは、原子力爆弾や水素爆弾を爆発させたときに、大気中にまき散らされ、やがては地上に落下してくる、いわゆる死の灰である。」(同上・245頁)
これらの議論は決して原子力産業の利益をはかろうなどという意図は毛頭なく、善意で述べられたものであることは言うまでもない。しかし原子力の軍事利用に対抗してその平和利用を図ろうとする発想が、当時、核兵器に強力に反対する人々の間で共有されていたことは認めざるを得ない。その発想の基礎に、軍事的な利用の場合には歯止めが効かなくなるが、平和的な利用の場合にはコントロールが可能であるという、何とはなしの認識が横たわっていたことは否定できない。これこそ安全神話以外の何ものでもないのである。
このように我々の先達すら安全神話の呪縛にとらわれていたことを、十分に自戒しなければならないと思う。
原発事故を教訓にすることなく、原発の輸出と原発の再稼働を推進しようとする動きが目前で起きている今こそ、安全神話の呪縛からの真の脱却と、そのための世論への周到なはたらきかけが求められている時である。
3.11直後の原発事故そのものだけでなく、こうした事故後も続くトラブルの続出は、人為によるコントロールが効かない原発の危険性を如実に示しており、安全神話が完全に誤りであって、崩壊するに至っていることを、厳然たる事実をもって証明していると言わなければならない。
安倍政権が発足して以来、「アベノミクス」、消費税増税と一方での法人税減税、TPP参加の推進、解雇規制の緩和、憲法改正、普天間基地の辺野古移転など逆戻りの政策が進められようとしているが、その中の重要政策の1つに原発輸出の推進と国内での原発再稼働のもくろみも含まれている。
このような執拗なまでの原発へのしがみつきは、「原子力村」と言われる財界、政府、官僚、そして原発を推進してきた一部の学者・技術者の一団の利害関係がその原動力をなしていることは言うまでもないが、彼らが今もなお安全神話を唱導し、あるいは国民を説得するために安全神話に依然として依拠できると判断していることを物語っている。既に安全神話が完全に崩壊し、社会全体がそのような観念に囚われなくなっているとすれば、彼らがこの神話に依拠できると判断することは不可能となる筈であり、彼らがまだこの神話を利用できると判断していることからすれば、社会はまだまだこの安全神話の呪縛から脱却できていないと言わなければならない。
実はこの安全神話の呪縛は、歴史的にみて大変根深いものがあり、いわゆる革新的な陣営に属する人々ですらもその多くは、安全神話に囚われていたことは否定できない。
この点を振り返ってみるために、昭和30年代前半に各分野にわたる当時のわが国における先進的な学者、評論家、ジャーナリストの論考を集めた『岩波講座 現代思想』を例にとってみると、次のような論調を垣間見ることができる。
「現代の資本主義の中心であるアメリカにおいては巨大な原子力エネルギイを平和の生産力として利用する方向がはばまれ、もっぱらこれを軍事的に利用する方向がとられているのである。」(羽仁五郎「現代における戦争の性格」(『岩波講座 現代思想 Ⅸ 戦争と平和』S32.5.25所収・41頁) 原子力を「平和の生産力」として利用するのは良いという前提で、これに対比して原子力を「軍事的に利用する方向」には反対であるという思考方法がとられている。
さらにより鮮明に、原子力の軍事的な利用は人類に破滅的な影響をもたらす一方、平和的な利用の場合には安全に管理していく技術やシステムも確立されていくだろうという楽観的な見通しを述べたものもある。やや長くなるがゾルゲ事件に連座して一時朝日新聞を退社したことがあり、『原子力の国際管理』などの著書でも知られるジャーナリストの田中慎次郎の文章を引用してみる。
「軍事・非軍事にわたる多様な利用面のうち、原水爆がもたらした影響はきわめて深刻で、これにくらべれば、非軍事的利用の影響は、おだやかなものである。人間がうまく原子力をこなして行けば、人類社会の幸福に貢献することができる。・・・原子力の場合は、もしこれが原子兵器として、戦場で実際に使用されるようなことがあれば、文字通り、文明の破滅になるし、逆にもし、原子力が平和的にのみ利用されるならば、原則的にいって、それが人類社会の幸福に貢献することができるという、いわば両極端を包蔵している。」(田中慎次郎「原子力時代における人間」(『岩波講座 現代思想 Ⅷ 機械時代』S32.3.25所収・232頁) 「しかしながら、原子力をつかっての平和的利用の場合には、原子炉の数と出力とが増加するにともなって、灰の安全な処理方法の技術も確立されていくだろうし、灰の処理方法についての、国際的な取締り規則も完備されてくるであろうが、どうにも始末のつかないのは、原子力爆弾や水素爆弾を爆発させたときに、大気中にまき散らされ、やがては地上に落下してくる、いわゆる死の灰である。」(同上・245頁)
これらの議論は決して原子力産業の利益をはかろうなどという意図は毛頭なく、善意で述べられたものであることは言うまでもない。しかし原子力の軍事利用に対抗してその平和利用を図ろうとする発想が、当時、核兵器に強力に反対する人々の間で共有されていたことは認めざるを得ない。その発想の基礎に、軍事的な利用の場合には歯止めが効かなくなるが、平和的な利用の場合にはコントロールが可能であるという、何とはなしの認識が横たわっていたことは否定できない。これこそ安全神話以外の何ものでもないのである。
このように我々の先達すら安全神話の呪縛にとらわれていたことを、十分に自戒しなければならないと思う。
原発事故を教訓にすることなく、原発の輸出と原発の再稼働を推進しようとする動きが目前で起きている今こそ、安全神話の呪縛からの真の脱却と、そのための世論への周到なはたらきかけが求められている時である。
(2013.8.2)
大熊政一(日本国際法律家協会)
「地獄の業火」による火遊びを止めよう
核エネルギーは、「神の火」とも「地獄の業火」ともいわれる。核エネルギーの巨大さと制御困難性を問わず語りしているといえよう。核分裂反応が、いかに巨大なエネルギーを放出するかは、理論的にも実践的にも明らかである。兵器として使用された核エネルギーが人類社会に何をもたらしたか。私たちは、広島・長崎の「被爆の実相」の中に確認することができる。巨大な湯沸し装置として使用された核エネルギーが暴走した時の実情も、現在進行形で体験している。私たちは、閻魔大王によって、翻弄されているのであろうか。
核エネルギーを兵器として使用しようとする勢力も、湯沸し装置として利用したいとする勢力も、厳然とした力を保持し続けている。力による支配と利潤追求の衝動が、彼らの思考と行動を規定しているのである。いかに多くの人々が殺され、傷つき、苦しもうとも、彼らの関心の対象とはならない。核エネルギーは、神でも悪魔でもない、人間界の支配者によって、道具として利用されているのである。
兵器としての核エネルギーへの対抗は核兵器廃絶運動としてあらわれている。民生利用としての核エネルギーへの対抗は原発反対運動としてあらわれている。
核エネルギーは巨大であり、制御困難であるがゆえに、その保有者は、軍事的にも、政治的にも、経済的にも、社会的にも優位に立てることになる。神にも閻魔大王にもなれるのだ。
兵器としての核エネルギーの利用は非人道的であるだけではなく、国際人道法に反するとされつつある。民生用の核エネルギー利用は、危険で、高価で、反環境的で、反倫理的であるとされつつある。
にもかかわらず、核兵器に依存して国家の安全を確保しようとする勢力は、経済成長戦略の一環として原発を輸出しようとしている。その勢力に正統性を付与しているのは、有権者の投票行動である。多数決原理による正統性は、人間と自然や社会との関係で、常に正当であるとは限らない。この国では、多数決原理による正統性が「地獄の業火」による火遊びを継続させているのである。
核兵器と原発は、核エネルギーであるということで共通している。国家安全保障のために「最終兵器」に依存することは、正義や公正よりも暴力に依拠する発想である。電気エネルギーの確保のための方法はいくらでもあるし、節約の方法もある。
「地獄の業火」による火遊びを止めるために、私たちには、原理的な正当性の主張だけではなく、政治的正統性の確立も求められているといえよう。
核エネルギーを兵器として使用しようとする勢力も、湯沸し装置として利用したいとする勢力も、厳然とした力を保持し続けている。力による支配と利潤追求の衝動が、彼らの思考と行動を規定しているのである。いかに多くの人々が殺され、傷つき、苦しもうとも、彼らの関心の対象とはならない。核エネルギーは、神でも悪魔でもない、人間界の支配者によって、道具として利用されているのである。
兵器としての核エネルギーへの対抗は核兵器廃絶運動としてあらわれている。民生利用としての核エネルギーへの対抗は原発反対運動としてあらわれている。
核エネルギーは巨大であり、制御困難であるがゆえに、その保有者は、軍事的にも、政治的にも、経済的にも、社会的にも優位に立てることになる。神にも閻魔大王にもなれるのだ。
兵器としての核エネルギーの利用は非人道的であるだけではなく、国際人道法に反するとされつつある。民生用の核エネルギー利用は、危険で、高価で、反環境的で、反倫理的であるとされつつある。
にもかかわらず、核兵器に依存して国家の安全を確保しようとする勢力は、経済成長戦略の一環として原発を輸出しようとしている。その勢力に正統性を付与しているのは、有権者の投票行動である。多数決原理による正統性は、人間と自然や社会との関係で、常に正当であるとは限らない。この国では、多数決原理による正統性が「地獄の業火」による火遊びを継続させているのである。
核兵器と原発は、核エネルギーであるということで共通している。国家安全保障のために「最終兵器」に依存することは、正義や公正よりも暴力に依拠する発想である。電気エネルギーの確保のための方法はいくらでもあるし、節約の方法もある。
「地獄の業火」による火遊びを止めるために、私たちには、原理的な正当性の主張だけではなく、政治的正統性の確立も求められているといえよう。
(2013.7.26記)
大久保賢一(日本反核法律家協会事務局長)
大久保賢一(日本反核法律家協会事務局長)
世界銀行が「原発拒否」 AFPが報道、他のメディアは?
「世界銀行が原発にはカネを出さないことを決めた」―。
そんな話を聞いて、調べてみたが、どうやら新聞には載っていないようだし、どういうことか、と思っていたら、11月28日のAFP電が伝えていることがわかった。なぜ、ほかの通信社はキャリーしなかったのか、わからないが、下記のようなものだ。
AFPBBNEWS 2013年11月28日配信
【以下引用】
「原発は援助しない」、世銀と国連が表明
【11月28日 AFP】世界銀行(World Bank)と国連(UN)は27日、最貧国に電力網を整備するため数十億ドル規模の資金援助が必要だと訴えるとともに、いずれの国においても原子力発電への投資は行わない考えを表明した。
世銀のジム・ヨン・キム(Jim Yong Kim)総裁と国連の潘基文(パン・キムン、Ban Ki-moon)事務総長は、2030年までに世界中の全ての人が電力の供給を受けられるようにする取り組みについて記者団に説明した。その中でキム総裁は「われわれは原発は行わない」と明言した。
キム総裁によると、世銀は来年6月までに42か国の発電計画をまとめる予定。電力網の整備やエネルギー効率の倍増、再生可能エネルギー比率の倍増などを掲げ、目標達成には年間およそ6000~8000億ドル(約61兆~82兆円)が必要になるとしている。
しかしキム総裁は、集まった資金は新エネルギー開発にのみ使用すると報道陣に明言。「原子力をめぐる国家間協力は、非常に政治的な問題だ。世銀グループは、原発への支援には関与しない。原発は今後もあらゆる国で議論が続く、たいへん難しい問題だと考えている」と述べた。
【以上引用】
世銀がカネを出さないなら、別の方法、たとえばアジア開銀とか、米州にもアフリカにも開発銀行がある、ということなのかもしれないし、アラブのお金持ちは大丈夫、という話なのかもしれないが、この話、原発輸出に血道を上げる安倍さんにも、日本財界にも、ちょっと大きなことではないのだろうか。
いくら安倍首相が「世界一安全な原発」と言ったところで、その危険性はなくならないし、それ以上に小泉元首相が指摘するとおり、「問題は処分場が見つからないこと」で、「処分場選定のめどが付けられると思う方が楽観的で無責任」なのに、そうした問題は抜きに、原発輸出に走っているのは、世界の趨勢に背を向けている。
それにしても、なぜ、このニュースが大きく載らないのか? 確かにAFPと契約しているメディアは少ないのだろうが、それならそれで、他の通信社はどうしたのか? もう少し、詳しい情報が欲しいのだが…。
そんな話を聞いて、調べてみたが、どうやら新聞には載っていないようだし、どういうことか、と思っていたら、11月28日のAFP電が伝えていることがわかった。なぜ、ほかの通信社はキャリーしなかったのか、わからないが、下記のようなものだ。
AFPBBNEWS 2013年11月28日配信
【以下引用】
「原発は援助しない」、世銀と国連が表明
【11月28日 AFP】世界銀行(World Bank)と国連(UN)は27日、最貧国に電力網を整備するため数十億ドル規模の資金援助が必要だと訴えるとともに、いずれの国においても原子力発電への投資は行わない考えを表明した。
世銀のジム・ヨン・キム(Jim Yong Kim)総裁と国連の潘基文(パン・キムン、Ban Ki-moon)事務総長は、2030年までに世界中の全ての人が電力の供給を受けられるようにする取り組みについて記者団に説明した。その中でキム総裁は「われわれは原発は行わない」と明言した。
キム総裁によると、世銀は来年6月までに42か国の発電計画をまとめる予定。電力網の整備やエネルギー効率の倍増、再生可能エネルギー比率の倍増などを掲げ、目標達成には年間およそ6000~8000億ドル(約61兆~82兆円)が必要になるとしている。
しかしキム総裁は、集まった資金は新エネルギー開発にのみ使用すると報道陣に明言。「原子力をめぐる国家間協力は、非常に政治的な問題だ。世銀グループは、原発への支援には関与しない。原発は今後もあらゆる国で議論が続く、たいへん難しい問題だと考えている」と述べた。
【以上引用】
世銀がカネを出さないなら、別の方法、たとえばアジア開銀とか、米州にもアフリカにも開発銀行がある、ということなのかもしれないし、アラブのお金持ちは大丈夫、という話なのかもしれないが、この話、原発輸出に血道を上げる安倍さんにも、日本財界にも、ちょっと大きなことではないのだろうか。
いくら安倍首相が「世界一安全な原発」と言ったところで、その危険性はなくならないし、それ以上に小泉元首相が指摘するとおり、「問題は処分場が見つからないこと」で、「処分場選定のめどが付けられると思う方が楽観的で無責任」なのに、そうした問題は抜きに、原発輸出に走っているのは、世界の趨勢に背を向けている。
それにしても、なぜ、このニュースが大きく載らないのか? 確かにAFPと契約しているメディアは少ないのだろうが、それならそれで、他の通信社はどうしたのか? もう少し、詳しい情報が欲しいのだが…。
(丸山重威)
高濃度汚染水漏出問題と日本政府の責任
◆東京電力は、8月20日になって、福島第第一原発の汚染水著貯蔵タンクから放射能汚染水推定300トンが漏れ出ていたことを一転して認める発表をした。今回も発表が遅れ、事故隠しとの批判がなされている。東電の隠蔽体質は相変わらずと言わざるを得ないが、事はそれにとどまらず深刻である。
汚染水漏出事故は発表されているだけで5回目である。しかし、未だに漏水の原因を把握できていない。のみならず漏水の規模が果たしてどのくらいであるのかも正確にはわかっていない。要するに東電側は、事態を何も把握していないし管理もできていないのである。そのことについて東電は危機感も責任も感じていないというのが信じたくないが現実である。
◆原子炉を冷却した後の高濃度のストロンチウムを含んだ汚染水に地下水が流れ込み、日々新たに400トンの汚染水が生まれている。完全な浄化装置がないために、タンクに貯めておくしかない。そのタンクの数が足りずに、急増したタンク(溶接しないボルト締めのタンク)から今回の漏出事故が起きている。この急増タンクに貯められている汚染水は8月23日現在で約22万トン余り、タンクには計測メーターがとりつけられていないので、汚染水が漏れていてもわからない。作業員が、タンク回りを目視で確認する以外に汚染水漏れをチェックできていいなかったという報道には、心底驚き、絶望的な気分にすらなる。
◆漏れた汚染水の回りの空間線量は毎時100ミリシーベルトという直ちに人命に危害を与えうる数値である。海洋汚染や地下水汚染の危険は収束の目途もたたず拡大一方の状況である。再び大地震や津波が来たときに総量33万トンと言われる高濃度放射能汚染水はどうなるのか。日々溜まっていく高濃度汚染水の当面の処理方策も決まっていないのだから、廃炉へ向けた計画など立てようがなかろう。
◆原子力規制庁は、今回の事故を当初レベル1としたが、IAEAの勧告を受けて、8月28日にレベル3(重大な異常事象)に訂正した。世界中がこの緊急事態に注目し連日トップニュースで報道しているというが、日本の中ではいたって「静」である。このギャップはいったい何なのか。
◆日本政府は、直ちに総力を挙げてこの重大な異常事象に対応すべきである。原発輸出の売り込みや、原発再稼働に血道を上げている場合ではない。東電をこれ以上好き勝手に野放しにすべきではない。直ちに東電を公正な第三者機関の管理下に置き、緊急に日本のみならず世界中の科学者の協力を得て高濃度汚染水の流出にストップをかける施策を講じなければならないし、同時に廃炉に向けた具体的なステップを明確にしなければならない。さらに東電の資産は、まず原発事故によるすべての被害者の救済に当てられるべきで、そのために強制力を持った資産分与の法的手続きがとられなければならない。これらの緊急事態に対応するために、憲法「改正」はもちろん不要である。規制庁の権限を強化し、破産法や会社更生法その他既存の法律を駆使することで十分に適切迅速な対応が可能である。
汚染水漏出事故は発表されているだけで5回目である。しかし、未だに漏水の原因を把握できていない。のみならず漏水の規模が果たしてどのくらいであるのかも正確にはわかっていない。要するに東電側は、事態を何も把握していないし管理もできていないのである。そのことについて東電は危機感も責任も感じていないというのが信じたくないが現実である。
◆原子炉を冷却した後の高濃度のストロンチウムを含んだ汚染水に地下水が流れ込み、日々新たに400トンの汚染水が生まれている。完全な浄化装置がないために、タンクに貯めておくしかない。そのタンクの数が足りずに、急増したタンク(溶接しないボルト締めのタンク)から今回の漏出事故が起きている。この急増タンクに貯められている汚染水は8月23日現在で約22万トン余り、タンクには計測メーターがとりつけられていないので、汚染水が漏れていてもわからない。作業員が、タンク回りを目視で確認する以外に汚染水漏れをチェックできていいなかったという報道には、心底驚き、絶望的な気分にすらなる。
◆漏れた汚染水の回りの空間線量は毎時100ミリシーベルトという直ちに人命に危害を与えうる数値である。海洋汚染や地下水汚染の危険は収束の目途もたたず拡大一方の状況である。再び大地震や津波が来たときに総量33万トンと言われる高濃度放射能汚染水はどうなるのか。日々溜まっていく高濃度汚染水の当面の処理方策も決まっていないのだから、廃炉へ向けた計画など立てようがなかろう。
◆原子力規制庁は、今回の事故を当初レベル1としたが、IAEAの勧告を受けて、8月28日にレベル3(重大な異常事象)に訂正した。世界中がこの緊急事態に注目し連日トップニュースで報道しているというが、日本の中ではいたって「静」である。このギャップはいったい何なのか。
◆日本政府は、直ちに総力を挙げてこの重大な異常事象に対応すべきである。原発輸出の売り込みや、原発再稼働に血道を上げている場合ではない。東電をこれ以上好き勝手に野放しにすべきではない。直ちに東電を公正な第三者機関の管理下に置き、緊急に日本のみならず世界中の科学者の協力を得て高濃度汚染水の流出にストップをかける施策を講じなければならないし、同時に廃炉に向けた具体的なステップを明確にしなければならない。さらに東電の資産は、まず原発事故によるすべての被害者の救済に当てられるべきで、そのために強制力を持った資産分与の法的手続きがとられなければならない。これらの緊急事態に対応するために、憲法「改正」はもちろん不要である。規制庁の権限を強化し、破産法や会社更生法その他既存の法律を駆使することで十分に適切迅速な対応が可能である。
大江京子(日本民主法律家協会)
原発情報と「特定秘密保護法」
福島原発事故に際して、放射性物質の拡散状況に関するデータ(SPEEDI)が米国には提供されたが、国民からは隠されていたために、福島県浪江町の住民が放射線の高い方向に避難するという悲劇が起きた。政府は、原発事故に関する情報を国民のためには使おうとしなかったのである。そんな政府が「国民の安全のため」として、「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を国会に上程している。
ところで、特定秘密保護法によって、原発に関する情報は、「特定秘密」とされることはないのだろうか。この間、政府は「原発情報が秘密になることは絶対にない。」と説明してきた。ところが、10月24日に開かれた超党派議員と市民による政府交渉の場で、法案担当の内閣情報調査室参事官は、「原発関係施設の警備等に関する情報は、テロ活動防止に関する事項として特定秘密に指定されるものもありうる。」と説明したのである。そして、核物質貯蔵施設などの警備状況についても同様であるという。結局、原発の内部構造や事故の実態も秘密とされる危険性が明らかになったのである。
そもそも、法文上、原発情報を除外する規定などないにもかかわらず、「秘密とされることは絶対ない」などと断言すること自体虚偽説明であるが、ここでは、原発情報が「特定秘密」とされうることを確認しておくことにする。
法案によれば、防衛、外交、特定有害活動、テロ対策などに関する情報は、行政機関の長の判断で「特定秘密」とされ、国会や第三者機関の関与は予定されていないので、何が秘密とされたのかも不明ということになる。のみならず、その「秘密」を漏らした公務員も、政府情報を明らかにしようとする国会議員も、取材しようとするジャーナリストも、「犯罪者」とされる危険性に晒されるのである。
秘密保護法などなくても、放射性物質の拡散に関するデータを隠蔽した政府が、秘密保護法を手に入れてしまえば、国民の生命や健康にかかわる情報や環境汚染にかかわる情報も、「テロ対策」などの名目で国民の目から隠されてしまうことになる。そして、それを知らせようとする人たちは、「犯罪者」とされることを恐れ、その行動を自主規制することになるであろう。
福島県議会は、10月9日、「特定秘密の保護に関する法律案に対し慎重な対応を求める意見書」を全会一致で採択している。同意見書は、日弁連の反対の立場を援用しながら、原発の安全性に関する情報や住民の安全に関する情報が、核施設に対するテロ活動防止の観点から、「特定秘密」とされる可能性を指摘している。その上で、今、必要なことは、情報公開の徹底であり、刑罰による情報統制ではない。内部告発や取材活動を委縮させる法案は、情報隠蔽を助長し、ファシズムにつながるおそれがある、もし採択されれば、民主主義を根底からことになるとして、両院議長と内閣総理大臣に慎重な対応を求めている。
毎日新聞は、この福島県議会の意見書について、10月26日の社説「国会は危険な本質を見よ」で、「この重い指摘を全国民で共有したい。」としている。
私たちの姿勢と、福島県議会や毎日新聞とは、強く共鳴し合っているといえよう。
(2013.10.28記)
日本反核法律家協会事務局長 弁護士 大久保賢一
原発事故から2年4か月、避難者はいま
福島第一原発の事故から2年4か月余りが経過した。まだかなりの人びとが避難をしている状態にある。避難を余儀なくされた人びとのうち、その多くが福島県内にとどまっている一方で、少なくない数の人びとが、近隣の他県や関東地方などをはじめ、全国各地に分散する形で、広域の避難をしている。これに加え、避難命令などが発令されてはいないが、放射能汚染の状況を考慮し、避難している、いわゆる自主避難の人びとがいる。
こうした避難者の状況については、事故への社会の関心が薄れていく中で、必ずしも十分に広く伝えられることが少なくなっているのではないだろうか。仮設住宅などには、折にふれ、マスコミの目にふれることもあるが、都市部の普通の住宅に埋没している、いわゆるみなし仮設の住人については、あまり知られる機会が多くないように感じる。
このような状況の中で、広域避難、それも都市部にいる、被災者の実情を把握しようと、東京と埼玉にいる人たちを対象に、事故から2年を機に、アンケート調査を、支援団体が実施した。筆者もその活動に参加する震災支援ネットワーク埼玉と東京災害支援ネットが行い、埼玉については、昨年に引き続いての調査であり、東京は初めてであったが、いわゆる強制避難者だけではなく、できるだけ自主避難者の声も集めようと試みた。
まだ十分に、その結果を分析することができてはいないのだが、相変わらず避難者の多くがメンタル的に困難を抱え、家族も分断され、将来の見通しも立たず、経済的にも厳しい状況が浮かび上がってきた。損害賠償についても、東電の補償額が少ない中で、不十分であるとの認識や、不安を抱えながらも、多くが賠償請求をし、一定程度ADRも活用されている。数はまだ少ないのだが、訴訟にふみきったケースもあって、注意を引く。
総じて被災者の状態は困難を抱えてはいるが、その中でも、個人差や多様化がみられるようにもなってきた。依然として立ち上がることにハードルが高いと感じる人がいる一方で、心理的に多大な負荷を内在させつつも、状況への適応と、そこから能動的に自らの声をあげることの重要性を意識し始めている人びとの存在が見えてきた。
これらの事柄から、避難者についてステレオタイプで語ることが、どれだけ難しいことであるのか、また、それがどのような問題性をはらんでいるのかが明らかになるだろう。それと同時に、被災者のニーズを考えるなら、個別的で細やかな柔軟性が求められることも理解できるだろう。事故から2年を機に、事態は変化しつつある。
なお、調査の詳細について、7月27日(土)午後1時30分より、東京・西早稲田の早稲田大学で、調査を行った両団体によるシンポジウムで報告の予定。詳細については、震災ネットワーク埼玉のホームページなどを参照。
こうした避難者の状況については、事故への社会の関心が薄れていく中で、必ずしも十分に広く伝えられることが少なくなっているのではないだろうか。仮設住宅などには、折にふれ、マスコミの目にふれることもあるが、都市部の普通の住宅に埋没している、いわゆるみなし仮設の住人については、あまり知られる機会が多くないように感じる。
このような状況の中で、広域避難、それも都市部にいる、被災者の実情を把握しようと、東京と埼玉にいる人たちを対象に、事故から2年を機に、アンケート調査を、支援団体が実施した。筆者もその活動に参加する震災支援ネットワーク埼玉と東京災害支援ネットが行い、埼玉については、昨年に引き続いての調査であり、東京は初めてであったが、いわゆる強制避難者だけではなく、できるだけ自主避難者の声も集めようと試みた。
まだ十分に、その結果を分析することができてはいないのだが、相変わらず避難者の多くがメンタル的に困難を抱え、家族も分断され、将来の見通しも立たず、経済的にも厳しい状況が浮かび上がってきた。損害賠償についても、東電の補償額が少ない中で、不十分であるとの認識や、不安を抱えながらも、多くが賠償請求をし、一定程度ADRも活用されている。数はまだ少ないのだが、訴訟にふみきったケースもあって、注意を引く。
総じて被災者の状態は困難を抱えてはいるが、その中でも、個人差や多様化がみられるようにもなってきた。依然として立ち上がることにハードルが高いと感じる人がいる一方で、心理的に多大な負荷を内在させつつも、状況への適応と、そこから能動的に自らの声をあげることの重要性を意識し始めている人びとの存在が見えてきた。
これらの事柄から、避難者についてステレオタイプで語ることが、どれだけ難しいことであるのか、また、それがどのような問題性をはらんでいるのかが明らかになるだろう。それと同時に、被災者のニーズを考えるなら、個別的で細やかな柔軟性が求められることも理解できるだろう。事故から2年を機に、事態は変化しつつある。
なお、調査の詳細について、7月27日(土)午後1時30分より、東京・西早稲田の早稲田大学で、調査を行った両団体によるシンポジウムで報告の予定。詳細については、震災ネットワーク埼玉のホームページなどを参照。
丸山重威(日本ジャーナリスト会議)
「人類は核と共存できない 核兵器も原発もない世界を求めるための一視座」
問題意識
現在、地球上には、1万7千発を超える核兵器と426基の原発が存在している。私は、この核兵器と原発をなくしたいと考えている。「核兵器と原発は同根であり、人類の天敵です。」という意見に同意するからである。そして、私は、核兵器も原発もなくすことはできると確信している。なぜなら、これらの物は、人間が作ったものであり、人間が使用するものだからである。人間の意思と行動で廃棄することは可能である。政治的意思を形成し、物理的に破壊すればいいのである(言うだけであれば簡単である)。そこで、問題はどのように廃絶するかである。現在、国際的にも国内的にも核兵器と原発に固執する勢力が支配的である。核兵器を禁止しようとする国際的潮流は大きくなっているけれど、核兵器国の抵抗が強く、まだ、明文の核兵器条約は存在しない。
核不拡散条約(NPT)は、非核兵器国の核兵器保有を禁止しているが、核の「平和利用」は加盟国の「奪いえない権利」としている。現行国際法のもとでは、核エネルギーの平和利用は、権利であるとされているのである。また、原子力事故に関する諸条約(通報条約や援助条約)はあるが、本質的危険性は法的規制の対象とはされていない。
究極の暴力と利潤追求の衝動が優越しているのである。これが世界の現実である。核兵器や原発との決別を希求する者は、この支配層の意思を転換し、新たな法的枠組みを形成しなければならないのである。
そして、我が国政府も、核兵器に依存し、核兵器使用を排除していない。また、放射線の人体に対する影響は過小評価している(後で述べる)。加えて、原子力発電を「重要なベースロード電源」と位置付けている。
我が国政府は、兵器としてもエネルギー源としても、核エネルギーに依拠し続けることを国策としているのである。米国の核抑止力への依存と矛盾しない範囲で、非核三原則の遵守をいい、核兵器廃絶を唱えてはいるが、その実態は核兵器依存国なのである。加えて、原発の再稼働を急ぐだけではなく、原発の輸出まで進めているのである。政府は、核兵器を国家安全保障の「切り札」、原発を経済活動の主役にしているといえよう。
この国策の転換をしなければならない。
2
そのための思想と運動が求められている。そこで、ここでは、第一に1963年の「原爆裁判」の判決を、第二にいくつもの勝訴判決を得てきた「原爆症認定集団訴訟」を、第三に今年5月の大飯原発裁判の判決を例にとりながら、現在通有している論理と体制との対抗軸を概観してみるこことする。
なぜ、これらの裁判例を参照するかといえば、「原爆裁判」は原爆投下の違法性を確認し、「原爆症認定手段訴訟」は放射能被害を認定し、「大飯原発判決」は原発再稼働を認めていないからである。そこには、現在の支配的価値と論理、すなわち、国家の暴力と資本の衝動を否定する判断がなされているのである。これらの裁判例に通底する価値と論理を探求してみたい。
※ 以下は、下記リンクよりPDFをダウンロードしていただきたい。
核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会事務局長
弁護士 大久保賢一
弁護士 大久保賢一
「復興支援」の課題
2011年3月11日から、それに続く福島第一原発の事故の発生、あれから、間もなく3年の月日が経過しようとしている。原発サイトや原子炉も、一応は、安定した状態を維持しているように、表面上は見受けられる。だが、事故の収束というには、まだまだ、本当に程遠いというのが、実情ではないだろうか。原発サイトの状況ですら、かろうじて一定の状態を保っているにすぎず、いつまたそれが変化し、再び危機的な事態へといたるのかは、予断が許さないところではないだろうか。また、避難を余儀なくされた人びとや、さまざまな形で被害をこうむった人たちへの賠償と失われた権利の回復への過程は、ようやく手が付けられ始めたばかりということができるのではないだろうか。
とりわけ、原発災害によって多大なダメージを受けた多くの人びとが置かれている状況は、とても厳しいものがあり、さらにそれに加えて、なかなか共通項が見いだせないほど、被害の実情は多様といえるのではないだろうか。そこがまた、一致しての要求を求めることの、決して小さくはない壁となっているのではないだろうか。このような中で、さまざまな立場にある原告をまとめ、組織している各地の弁護団の取り組みには、本当に頭が下がる思いである。それでも、自らの権利の回復を求めて立ち上がり、ともに手を携えつつ、事故の責任を問い、正義の実現を目指す人たちが、残念ながら、圧倒的多数という状況には、必ずしもなってはいないといえるのではないだろうか。
ここに、実は、この莫大な規模の被害をもたらした原発災害が、多くの人びとに与えた計り知れない影響をみることができるのではないだろうか。同時にそれは、被害の回復と密接にかかわって、現在、切実に求められている課題として浮上しつつある、いわゆる復興支援の問題ともリンクしているように思えるのである。端的にいって、復興支援の課題は、単にハードの問題だけではなく、いうなればケアの問題も含めた課題なのであろう。
そのことは、かなりの数の被害当事者が、この事故とその後にたどった経過から受けた精神的な負荷を考えることによって、明確なものとなるだろう。これが正義をめぐる言説を阻害する要因となっていることは否定できないだろう。こうしたことが、繰り返しになるが、いわゆる復興支援にさいしても、決して見過ごすことのできない、困難として立ち現れているように思える。これらの諸点を考慮に入れること、つまり、権利、人権の回復や、責任の所在を明らかにし、それを通じて正義の実現を図ること、それらを前提に、これに加えてさらに多くの人たちへの精神的なケアをすることが、復興を後押しするための重要なスッテプとなるだろう。このことの持つ意味は、決して小さくはないだろう。
原発災害からの避難者が抱えている、目下の、さまざまな精神的負荷をもたらしている、その要因の多くが、コミュニティを失ったことにともなう、価値のはく奪や喪失の感情に根差しているといえるだろう。自らの拠って立つ、よりどころとすべき根拠を失い、ときには、深刻なまでのアイデンティティの危機、アイデンティティクライシスにまで発展しかねない状況へと追い込まれる、そうした潜在的状況を少なくない被害者は有している。それはまた、その心理的ダメージのゆえに、地に足がつかない、まさに宙吊りとなっているような感覚をもたらしてもいる。そこから、それゆえに、今ある、ありのままの、自らの存在を認めて欲しいという、承認の欲求となって表れているといえるだろう。
こうした、いわば、原発災害の被災者が、当事者として、当然感じるべき多くの思いについて、少なくない調査や研究などによっても、それが裏付けられるような示唆を与えているといえるだろう。それはデータによっても把握が可能であると同時に、当事者と接する機会を持つことのある多くの人たちによる実感も、それを大きく外れることはないのではないだろうか。そのような心理的状況を多くが共有しているといえるだろう。
では、そのような事態に対して、どのようなことが可能なのであろうか。これは、正義への第一歩であると同時に、いわゆる復興、それは自らの足で立つことを当然意味するものとなる必要があると考えるが、こうした取り組みを支えていくためにできることが、果たしてどれだけあるのだろうか。それに応えることは、必ずしも容易なことではないだろう。もしかしたら、ほんのわずかのことしか、実際には、できないのかもしれない。
それでも、こうした試みは、原発災害の今後を考えるうえで、欠かすことのできない視点をもたらすのではないだろうか。その際に、もしかしたら、復興支援員という、広範な地域に分散している、多くの避難者や原発災害によって困難を抱えている人たちを支え、手助け、支援する仕事に従事している方々が、鍵となるのではないだろうか。
確かに、このような役割を担い、ともすれば精神的にも疲労しつつある当事者に向き合うことには、ケアの資質や、場合によってはカウンセリングのスキルなど、かなりの専門性が求められることになるだろう。現状では、そうした期待には、なかなか応じることができないのが、実情であろう。そのような知識、スキルを有している人材を投入することは、かなりハードルが高いことは事実であろうし、またそうした人材そのものが、圧倒的に不足しているというほかはないであろう。しかし、それでも、こうした可能性を追求する必要があることも、決して否定できないのではなかろうか。
これらの課題を一手に引き受けるようなことができる役割を担うことが、広い意味でのソーシャルワークの資質であり、スキルではないかと考えている。だが、広義の、そして介入的なソーシャルワークに求められる、このような必要を満たす潜在的可能性を持つことは、なかなかに厄介なことといえるだろう。総じて、困難を抱えている人にむけての支援をとりおこなう人材の養成に精力が注がれなかった社会において、こうした課題をこなすことははなはだ難しいといえる。だが、それでも、その必要性が減じることはないといえるであろう。そこに復興支援の課題があるということができるだろう。
とりわけ、原発災害によって多大なダメージを受けた多くの人びとが置かれている状況は、とても厳しいものがあり、さらにそれに加えて、なかなか共通項が見いだせないほど、被害の実情は多様といえるのではないだろうか。そこがまた、一致しての要求を求めることの、決して小さくはない壁となっているのではないだろうか。このような中で、さまざまな立場にある原告をまとめ、組織している各地の弁護団の取り組みには、本当に頭が下がる思いである。それでも、自らの権利の回復を求めて立ち上がり、ともに手を携えつつ、事故の責任を問い、正義の実現を目指す人たちが、残念ながら、圧倒的多数という状況には、必ずしもなってはいないといえるのではないだろうか。
ここに、実は、この莫大な規模の被害をもたらした原発災害が、多くの人びとに与えた計り知れない影響をみることができるのではないだろうか。同時にそれは、被害の回復と密接にかかわって、現在、切実に求められている課題として浮上しつつある、いわゆる復興支援の問題ともリンクしているように思えるのである。端的にいって、復興支援の課題は、単にハードの問題だけではなく、いうなればケアの問題も含めた課題なのであろう。
そのことは、かなりの数の被害当事者が、この事故とその後にたどった経過から受けた精神的な負荷を考えることによって、明確なものとなるだろう。これが正義をめぐる言説を阻害する要因となっていることは否定できないだろう。こうしたことが、繰り返しになるが、いわゆる復興支援にさいしても、決して見過ごすことのできない、困難として立ち現れているように思える。これらの諸点を考慮に入れること、つまり、権利、人権の回復や、責任の所在を明らかにし、それを通じて正義の実現を図ること、それらを前提に、これに加えてさらに多くの人たちへの精神的なケアをすることが、復興を後押しするための重要なスッテプとなるだろう。このことの持つ意味は、決して小さくはないだろう。
原発災害からの避難者が抱えている、目下の、さまざまな精神的負荷をもたらしている、その要因の多くが、コミュニティを失ったことにともなう、価値のはく奪や喪失の感情に根差しているといえるだろう。自らの拠って立つ、よりどころとすべき根拠を失い、ときには、深刻なまでのアイデンティティの危機、アイデンティティクライシスにまで発展しかねない状況へと追い込まれる、そうした潜在的状況を少なくない被害者は有している。それはまた、その心理的ダメージのゆえに、地に足がつかない、まさに宙吊りとなっているような感覚をもたらしてもいる。そこから、それゆえに、今ある、ありのままの、自らの存在を認めて欲しいという、承認の欲求となって表れているといえるだろう。
こうした、いわば、原発災害の被災者が、当事者として、当然感じるべき多くの思いについて、少なくない調査や研究などによっても、それが裏付けられるような示唆を与えているといえるだろう。それはデータによっても把握が可能であると同時に、当事者と接する機会を持つことのある多くの人たちによる実感も、それを大きく外れることはないのではないだろうか。そのような心理的状況を多くが共有しているといえるだろう。
では、そのような事態に対して、どのようなことが可能なのであろうか。これは、正義への第一歩であると同時に、いわゆる復興、それは自らの足で立つことを当然意味するものとなる必要があると考えるが、こうした取り組みを支えていくためにできることが、果たしてどれだけあるのだろうか。それに応えることは、必ずしも容易なことではないだろう。もしかしたら、ほんのわずかのことしか、実際には、できないのかもしれない。
それでも、こうした試みは、原発災害の今後を考えるうえで、欠かすことのできない視点をもたらすのではないだろうか。その際に、もしかしたら、復興支援員という、広範な地域に分散している、多くの避難者や原発災害によって困難を抱えている人たちを支え、手助け、支援する仕事に従事している方々が、鍵となるのではないだろうか。
確かに、このような役割を担い、ともすれば精神的にも疲労しつつある当事者に向き合うことには、ケアの資質や、場合によってはカウンセリングのスキルなど、かなりの専門性が求められることになるだろう。現状では、そうした期待には、なかなか応じることができないのが、実情であろう。そのような知識、スキルを有している人材を投入することは、かなりハードルが高いことは事実であろうし、またそうした人材そのものが、圧倒的に不足しているというほかはないであろう。しかし、それでも、こうした可能性を追求する必要があることも、決して否定できないのではなかろうか。
これらの課題を一手に引き受けるようなことができる役割を担うことが、広い意味でのソーシャルワークの資質であり、スキルではないかと考えている。だが、広義の、そして介入的なソーシャルワークに求められる、このような必要を満たす潜在的可能性を持つことは、なかなかに厄介なことといえるだろう。総じて、困難を抱えている人にむけての支援をとりおこなう人材の養成に精力が注がれなかった社会において、こうした課題をこなすことははなはだ難しいといえる。だが、それでも、その必要性が減じることはないといえるであろう。そこに復興支援の課題があるということができるだろう。
北村浩(日本科学者会議)
問題提起 核兵器も原発もない世界を目指して
核兵器と原発の現状
現在、地球上には、1万6千発を超える核兵器435基の原発が存在している。 プーチン・ロシア大統領は、ウクライナ紛争に際して核兵器使用計画があったことを明らかにした。インドとパキスタンとの間での核戦争の勃発や、イスラエルのイランへの核攻撃の可能性も指摘されている。核兵器の使用は、冷戦時代だけではなく、 現在も画策されているのである。のみならず、意図的ではない核兵器使用がありうるのである。 核兵器が使用されれば、どのような非人道的な結末が発生するかについては、広島・長崎の被爆の実相、核実験による被害の現実はもとより、さまざまなシュミレーションによっても予測されている。核兵器使用による壊滅的事態を避けるためには核兵器の廃絶しかないのである。このことは国際社会の中で共有されつつある思潮である。にもかかわらず、核兵器国やわが国を含む核兵器依存国は、核兵器が自国の安全を保障する最終手段であるとの立場をとり続けている。核による威嚇が抑止力となるの で、自国と国際社会の安定と平和のために必要不可欠であるというのである。 国際法の世界では、核兵器使用は一般的には違法であるが、国家存亡の危機に際しては違法とも合法ともいえない、というのが国際司法裁判所の多数意見である。 そして、非核三原則の遵守、核兵器の廃絶を目指す、米国の核の傘に依存する、核の平和利用を推進する、というのがわが国の核政策である。大久保賢一(日本反核法律家協会事務局長)
※ 以下、下記 PDF をダウンロードしてご覧ください。 山木屋原発自死事件の勝訴判決および確定のご報告
本年 8 月 26 日に福島地方裁判所において言い渡された「山木屋原発自
死事件の勝訴判決および確定」について、自由法曹団の「団通信」で
紹介された記事を紹介します。
向川 純平(自由法曹団)
※ 以下、下記 PDF をダウンロードしてご覧ください。 「原発再稼働派勝利」でいいか?
参院選は大方の予想通り、自民・公明の与党が過半数獲得の圧勝。民主党は惨敗した。今回の選挙で、「争点」とされたテーマのうち、大切なものと言われたのは、改憲、原発、TPPだったが、世論調査では「反対」が多数を占めた原発については、「再稼働」推進ないし「許容」の党派が多数を占めた。
未だに15万人が自宅に戻れない地域の人々、今なお、一触即発の危険を抱えながら、壊れた施設にも近づけない現場の状況、そこで働く労働者の被曝、10万年レベルで管理しなければならない使用済み核燃料、処理に困る廃棄物…。汚染水が海に流れ出していることも分かった。何をとっても、解決していない東電福島第1原発のいまを考えれば、「再稼働」ということにはならないはずの原発がなぜ、こんなに、推進されているのか?
安倍政権は「成長戦略」に「原発の活用」を入れ、推進に力点を置いている。規制委員会が認めた原発について、「地元自治体の理解が得られるよう最大限努力する」とした。50基に及ぶ全国の原発は、現在は関西電力大飯原発の2基が動いているだけだが、7月8日、新しい規制基準がスタートしたのを受けて、北海道、関西、四国、九州の4電力が6原発12基を再稼働させるための審査を申請した。
民主党政権は「2030年代に原発稼働ゼロ」という目標を掲げた。今回の選挙でも、与党の公明党が「可能な限り速やかに原発ゼロを目指す」とし、日本維新の会も「原発は30年代までにフェードアウトする」としたが、「再稼働」は否定していない。みんなの党は「30年代までに原発ゼロ」、新党大地も「原発ゼロ」だった。再稼働を認めず、脱原発を訴えているのは、共産党、生活の党、社民党、みどりの風。このグループで、議席を増やしたのは、共産党だけだった。
東京選挙区では、毎週官邸前の行動に参加し、脱原発を訴えてきた共産党の吉良佳子さんと無所属の山本太郎さんが当選した。「政治は変えられる。皆さんと一緒に政治を変える」と吉良さんが語り、「当選を喜んでいる状況ではない」と山本さんは語っている。
原爆の危険性、核戦争の危険性を広げるのには「ヒロシマ、ナガサキの実相」を伝えることが大事だった。原発も同じだ。福島の実相を伝え、原発がいかに非人道的、非道徳的であるかを伝えよう。それが、人類の未来のためだと改めて思う。
丸山重威(日本ジャーナリスト会議)
原発事故から2年4か月、避難者はいま
福島第一原発の事故から2年4か月余りが経過した。まだかなりの人びとが避難をしている状態にある。避難を余儀なくされた人びとのうち、その多くが福島県内にとどまっている一方で、少なくない数の人びとが、近隣の他県や関東地方などをはじめ、全国各地に分散する形で、広域の避難をしている。これに加え、避難命令などが発令されてはいないが、放射能汚染の状況を考慮し、避難している、いわゆる自主避難の人びとがいる。
こうした避難者の状況については、事故への社会の関心が薄れていく中で、必ずしも十分に広く伝えられることが少なくなっているのではないだろうか。仮設住宅などには、折にふれ、マスコミの目にふれることもあるが、都市部の普通の住宅に埋没している、いわゆるみなし仮設の住人については、あまり知られる機会が多くないように感じる。
このような状況の中で、広域避難、それも都市部にいる、被災者の実情を把握しようと、東京と埼玉にいる人たちを対象に、事故から2年を機に、アンケート調査を、支援団体が実施した。筆者もその活動に参加する震災支援ネットワーク埼玉と東京災害支援ネットが行い、埼玉については、昨年に引き続いての調査であり、東京は初めてであったが、いわゆる強制避難者だけではなく、できるだけ自主避難者の声も集めようと試みた。
まだ十分に、その結果を分析することができてはいないのだが、相変わらず避難者の多くがメンタル的に困難を抱え、家族も分断され、将来の見通しも立たず、経済的にも厳しい状況が浮かび上がってきた。損害賠償についても、東電の補償額が少ない中で、不十分であるとの認識や、不安を抱えながらも、多くが賠償請求をし、一定程度ADRも活用されている。数はまだ少ないのだが、訴訟にふみきったケースもあって、注意を引く。
総じて被災者の状態は困難を抱えてはいるが、その中でも、個人差や多様化がみられるようにもなってきた。依然として立ち上がることにハードルが高いと感じる人がいる一方で、心理的に多大な負荷を内在させつつも、状況への適応と、そこから能動的に自らの声をあげることの重要性を意識し始めている人びとの存在が見えてきた。
これらの事柄から、避難者についてステレオタイプで語ることが、どれだけ難しいことであるのか、また、それがどのような問題性をはらんでいるのかが明らかになるだろう。それと同時に、被災者のニーズを考えるなら、個別的で細やかな柔軟性が求められることも理解できるだろう。事故から2年を機に、事態は変化しつつある。
なお、調査の詳細について、7月27日(土)午後1時30分より、東京・西早稲田の早稲田大学で、調査を行った両団体によるシンポジウムで報告の予定。詳細については、震災ネットワーク埼玉のホームページなどを参照。
こうした避難者の状況については、事故への社会の関心が薄れていく中で、必ずしも十分に広く伝えられることが少なくなっているのではないだろうか。仮設住宅などには、折にふれ、マスコミの目にふれることもあるが、都市部の普通の住宅に埋没している、いわゆるみなし仮設の住人については、あまり知られる機会が多くないように感じる。
このような状況の中で、広域避難、それも都市部にいる、被災者の実情を把握しようと、東京と埼玉にいる人たちを対象に、事故から2年を機に、アンケート調査を、支援団体が実施した。筆者もその活動に参加する震災支援ネットワーク埼玉と東京災害支援ネットが行い、埼玉については、昨年に引き続いての調査であり、東京は初めてであったが、いわゆる強制避難者だけではなく、できるだけ自主避難者の声も集めようと試みた。
まだ十分に、その結果を分析することができてはいないのだが、相変わらず避難者の多くがメンタル的に困難を抱え、家族も分断され、将来の見通しも立たず、経済的にも厳しい状況が浮かび上がってきた。損害賠償についても、東電の補償額が少ない中で、不十分であるとの認識や、不安を抱えながらも、多くが賠償請求をし、一定程度ADRも活用されている。数はまだ少ないのだが、訴訟にふみきったケースもあって、注意を引く。
総じて被災者の状態は困難を抱えてはいるが、その中でも、個人差や多様化がみられるようにもなってきた。依然として立ち上がることにハードルが高いと感じる人がいる一方で、心理的に多大な負荷を内在させつつも、状況への適応と、そこから能動的に自らの声をあげることの重要性を意識し始めている人びとの存在が見えてきた。
これらの事柄から、避難者についてステレオタイプで語ることが、どれだけ難しいことであるのか、また、それがどのような問題性をはらんでいるのかが明らかになるだろう。それと同時に、被災者のニーズを考えるなら、個別的で細やかな柔軟性が求められることも理解できるだろう。事故から2年を機に、事態は変化しつつある。
なお、調査の詳細について、7月27日(土)午後1時30分より、東京・西早稲田の早稲田大学で、調査を行った両団体によるシンポジウムで報告の予定。詳細については、震災ネットワーク埼玉のホームページなどを参照。
丸山重威(日本ジャーナリスト会議)
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